浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

ホロコーストとBlack History Matters――ノイエンガメ強制収容所記念館より(2020年8月18日更新)

 

はじめに

 ハンブルク近郊にナチのホロコーストを追悼・記録・検証する施設、ノイエンガメ強制収容所記念館があります。*1

 同施設のウェブサイトはとても充実しています。そして同時に、SNSによる発信も積極的に行われています。

 

 

 2020年6月10日、そのツイッター・アカウントから「ブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter)」運動に寄せて、同施設に強制収容された、7名のアフリカ系収容者に捧げるメッセージが発信されました。*2

 

  • Waldemar Nods
  • Anton de Kom
  • Dominique Mendy
  • Sidi Camara
  • John William
  • Isidore Alpha
  • Akli Banoun

 

 ハッシュタグとして #BlackHistoryMatters が付けられています。

 この7名は、ドイツ占領下のフランスとオランダでナチ支配への抵抗運動を行っていました。アフリカ系収容者あるいは黒人収容者の歴史についてはほとんど研究されていないといいます。以下の冊子にノイエンガメ強制収容所の例が言及されているとのことです。

 

  • Beiträge zur Geschichte der nationalsozialistischen Verfolgung in Norddeutschland, Bd. 12 (Displaced Persons, Internierte und Flüchtlinge in ehemaligen Konzentrationslagern 1945-1953), 2010

 

 このページは、今後、追記していきます。

 

Anton de Komについて

 2020年6月12日にノイエンガメ強制収容所記念施設より、#Black History Mattersをつけて、アントン・デ・コムを追悼するツイートが発信されました。アントン・デ・コムはスリナム生まれの独立運動家・国際労働運動活動家です。1975年に独立するまで、スリナムはオランダの植民地でした。

 アントン・デ・コムについて、無知をさらすようですが、全然知りませんでした。Black Pastというウェブサイトで、彼の経歴が紹介されています。

 

 

 この小論によれば、アントン・デ・コムは1898年2月22日にスリナムで生まれました。1916年に貿易会社に勤め始め、労働運動に関与するようになったとのことです。

 1920年にハイチへ、そして数か月後、オランダへと渡航しました。そして、ハーグで反帝国主義・反ファシズム運動に参加します。1933年にスリナムに戻り、独立運動を開始しました。1934年、Wij Slaven van Suriname(われらスリナムの奴隷)という本を著しています。

 ノイエンガメ強制収容所記念施設のツイートによれば、1940年にアデ・コムは、オランダがナチ・ドイツに占領されたことで、ナチ抵抗運動に参加する、共産主義系地下新聞のために働いたそうです。1944年8月にドイツ占領当局によって逮捕されました。

 その後、オランダに設置されたフーフト強制収容所(KZ Vught)、ザクセンハウゼン強制収容所、そしてノイエンガメ強制収容所へと点々と移送されました。最終的には、終戦直前、ナチ親衛隊によってザンドボステル収容所(Lager Sandbostel)に移送され、そこで亡くなりました。1945年4月24日のことです。同日、英軍によってその収容所は解放されました。

 アントン・デ・コムについてのYoutube動画もみつけました。以下にリンクを貼っておきます。4分37秒の動画です。

 

 

*1:2020年6月11日Twitter「あさだしんじ」よりツイートした内容を改めたものです。また、2020年8月7日、同施設公式パンフレットの表記にあわせて「ノイエンガメ」に改めました。この収容所の歴史と記念館については、飯田収治「元ナチ強制収容所記念遺跡における集合的「記憶」の行方――ノイエンガメKZ記念遺跡の場合」『人文論究』(関西学院大学)第55巻第2号、2005年9月、111-129頁、noteへの寄稿、春乃花「島の〈ユダヤ人〉 ノイエンガメ収容所: 『ガーンジー島の読書会」』II」(2020年7月18日)をどうぞ。

*2:https://twitter.com/GedenkstaetteNG/status/1270703099271921666