- はじめに
- "v" と "w" について
- 「ッ」を入れるかどうか
- ドイツ語の "r" の表記
- Duden至上主義で解決できる?
- ドイツ語の"-ow"のカタカナ表記
- カタカナ表記の悩みは外国の研究者にあまり共有されない
- 地名・国名は収拾がつかない
- ビッグネームほどなかなか変わらない――「リンカン」と「E・P・トムスン」
- まだまだ続く悩み
はじめに
英語やドイツ語など原語がアルファベットで表記される研究分野を専攻されている方のなかで、日本語のカタカナで表記する際、頭を悩ました経験のない人はいないと思います。
講義やゼミで、文献によって地名や人名の表記が違っていることについて、しばしば質問されます。もちろんこうしたカタカナ表記は一致させた方がよいのですが、これがとても難しい。はっきりいって、解決不能レベルです。
論文集に寄稿する機会があれば、表記については、基本的に編者に従うことにしています。ただ、自分で論文を執筆する際には、当然、何らかの基準をつくらないといけません。ふり返ると、これまで赤面するミスを重ねてきました。
"v" と "w" について
基本的に、英語では "v" を「ヴ」に、ドイツ語の場合 "w" を「ヴ」と表記するようになってきたと思います。
その場合、地名・都市名などでの一般表記、公式表記とのズレが生じますが、それは研究者の決断次第になるでしょう。"Vietnam" を「ベトナム」と表記するか、「ヴェトナム」と表記するか、ということです。
2020年5月に、岩波新書と中公新書から同時に、Max Weber本が刊行されたことで、その日本語表記が話題になりました。
ただ、「マックス・ヴェーバー」と「マックス・ウェーバー」のどちらを表記するかについては、ドイツ史研究者にとっては、とくに問題になりません。「ヴェーバー」一択です。
「ウェーバー」はそもそも英語ですらないです。日本の社会科学の用語です。
研究者必携の研究社の『リーダーズ英和辞典』(1997年第29刷)をみれば、「ヴェイバー」になっています。
いまでは、youtubeなど色々なサイトで現地の話者が発音を教えてくれる時代になりました。いい時代になったものです。そのひと昔前は、Pronuncing Dictionary of Proper Namesという辞書で確認しろと言われました。下の写真は、1998年第2版です。
こちらをみると、英語圏では「ウェバー」ですね。
別に日本の社会科学で流通している「ウェーバー」を否定するわけではありません。ハンナ・アーレントだってどう表記するか悩みます。
「ッ」を入れるかどうか
Max Weberについていえば、むしろ動揺した経験があるのは、Maxの方です。
ドイツ史を学ぶみなさんが使う山川出版社の新版世界各国史、木村靖二編『ドイツ史』(2001年初版、2004年2刷)の288頁をみましょう。
第一次世界大戦の最終局面で成立した「バーデン公マクス政府」と出てきます。
あれ?索引が「Priaz」になってる。「Prinz」の誤植ですね。初版2刷なのですでに修正されているかもしれません。
現地の読み方になるべく近づけるようとするならば、あるいは何らかの基準がほしいのであれば、ドイツ史研究者はまずDudenを参考にすることでしょう。
このDudenでMaxをみると、たしかに「マクス」です。
そうなると、「マクス・ヴェーバー」とすべきということになります・・・。こうなると研究者としての決断が迫られる気持ちになります。
ただよく考えれば、以前は「フリードリッヒ」と「フリードリヒ」が並存していました。今では、ドイツ史研究者は「フリードリヒ」で統一するようになっていると思います。小さい「ッ」があると、日本語で発音する場合、アクセントの位置を「リッ」に置いて強調されてしまう恐れがあるからでしょうか。Friedrichのアクセントは "Fried" の母音にあるので。
「大王」である「フリードリヒ2世」の場合でも、「フリードリッヒ」から「フリードリヒ」に統一されたので、「マックス」を「マクス」と表記するように直してもいい気がしてきました。原語に近い表記に統一すべきということであれば、あとは書き手の勇気の問題でしょうか。
ドイツ語の "r" の表記
さらにいうと、ドイツ史で留学経験のある方が悩むのは "r" でしょう。これを「ル」と表記するのに、抵抗を感じると思います。わたしも留学した際、語学練習パートナーのドイツ人から「ア」と発音する方が自然だと教わりました。
そこで大きな問題になるのは、Weimarです。日本語の文献では、「ワイマール」、「ヴァイマール」、「ヴァイマル」、「ワイマル」と4通りの表記をみかけます。
さきほどの「ウェーバー」と同様、日本の社会科学の用語だと割り切れば、「ワイマール憲法」も仕方ない、と許容してもよいでしょう。「ワイマール憲法」の表記を変えることは、中高の社会科教科書、とくに政治・経済の用語集を大きく書き替えることになります。歴史学を超えた幅広い了解をえる必要があります。
では、さきほどのDudenでWeimarを引いてみましょう。
「ヴァイマル」です。自分の耳では「ヴァイマー」が一番しっくりきますし、「ヴァイマール」でいいじゃないかと思っていたのですが、悔しいかぎりです。まあ、[]の発音記号に従えば、「ヴァイマア」や「ヴァイマー」でもよいと思いますが、かえって混乱を招くでしょう。
Duden至上主義で解決できる?
しかし、Duden至上主義というのも、相当困りものです。メルケル首相のMerkelをDudenで引いてみましょう。
「メルクル」です。大変なことです。困ります。
多少、自分の研究にかかわる悩みを紹介しましょう。
まず、「ハンナ・アーレント」です。HannahはDudenにしたがえば「ハナ」です。
個人的にいつか決断しなければと悩みます。論集への寄稿でしたら、編者に判断を委ねて逃げるのですが。
次に、自分の研究に関わる研究者、Jürgen Osterhammelさんの場合です。英語版のThe Transformation of the World: A Global History of the Nineteenth Century (Princeton University Press, 2014)の著者です。枕になりそうな本です。日本語訳のある本としては、「オースタハメル」で『植民地主義とは何か』(論創社、2005年)があります。
「オースタ」はいいんです。
問題はHammelの方です。ふつう「ハンメル」としたいです。でも日本語訳は「ハメル」です。Dudenでは「ハムル」です。
ひとまずわたしは妥協の「オースタハンメル」と表記していますが、そのうち変えるかもしれません。
ドイツ語の"-ow"のカタカナ表記
わたしが専門の帝政期ドイツですと、知られた例としては、「ビューロー」か「ビューロ」か、という問題です。
外相、帝国宰相を歴任したベルンハルト・フォン・ビューロ(Bernhard von Bülow)。これまでたいてい「ビューロー」と表記されてきました。しかし、”-ow”は長音を指示するものではないと指導教員の教えです。Dudenでもそうです。
個人的な体験談です。わたしも寄稿したある論集の編者どうしでBülowのカタカナ表記を「ビューロー」とするか、それとも「ビューロ」とするかをめぐって言い争い。一方の編者が、ベルリンの地下鉄駅 Bülowstraße の放送を聴いて、「ほら、絶対ビューローって言ってるよ」と。もう一方の編者は「いえ、先生、そういうことではなくてですね・・・」。
カタカナ表記の悩みは外国の研究者にあまり共有されない
研究者の名前のカタカナ表記は本当に困りものです。まだインターネットがなかった時代、国際電話で秘書に訪ねたこともあります。
問題は先方があまり気にしておらず、日本の研究者のカタカナ表記の悩みを共有してくれていないことです。
あまり気にしない人もいます。2007年1月、グローバル・ヒストリー関連で世界史研究所にウィーン大学よりSusanne Weigelin-Schwiedrzikさんが来日しました。
このとき南塚信吾さんが名前をどう発音するかをたずねました。
ご本人の弁、「気にしなくていいです。隣人も好きに呼んでいます。まちまちです」。
そのときのレポートです。カタカナ表記に迷走中で、なぜか「ズザンネ」の「ン」を抜かしてしまいました。直したいです。
一方で、もちろんこだわりのある方もいますので、一概にいえません。
地名・国名は収拾がつかない
もはや地名・国名になると収拾つかないので、通例は日本での慣用表記に準じる、とエクスキューズがつきます。
なにしろ現地語に近い表記にしようとすれば、「ベルリン」は「ベアリーン」、「ウィーン」は「ヴィーン」、「オーストリア」は「エースタライヒ」ですから。ええ、「ドイツ」も「ドイチュラント」にしますか、というレベルです。
その勇気はわたしにはありません。世の中に従います。
う~ん、それでもMünchenは「ミュンヘン」ではなく、「ミュンヒェン」と表記したいです。
また、「プロシア」は「プロイセン」に統一したいし、ドイツ史以外の人にもそうあってほしいです。
そうはいっても、社会科学でいえば、「プロシア型」・「プロシャ型」の表記を変えるべきかどうかで悩みます。この言葉自体が日本の社会科学の歴史を示しているので、「プロイセン型」と表記すると、何か違う気がします。
いまのドイツ語学習教科書では、"au" は「アオ」と発音するように指導されています。わたしが第二外国語で学んだときは、教師が口頭で指導していた記憶があります。いまは「アオ」が教科書の記述レベルでもスタンダードになっているので、いつか世界史教科書でも「アウクスブルクのフッガー家」が「アオクスブルクのフッガー家」と表記が変わるかもしれません。そうした時代が来たときに守旧派にならないように心の準備だけはしておくつもりです。
ビッグネームほどなかなか変わらない――「リンカン」と「E・P・トムスン」
毎年、わたしの経済史講義でも、南北戦争、とくに戦後のシェア・クロッピング制度の普及について触れます。そうなると、避けて通れないのが、Abraham Lincolnです。
現在の世界史教科書では、通例、「リンカーン」ではなく、「リンカン」と表記されます。「エイブラハム・リンカン」です。たいていのアメリカ史研究者は「リンカン」と表記していると思います。たしかに、Lincolnの発音表記に長音記号はありません。
それでも長音記号つきの表記がなくならないのは、某テレビ番組の影響でしょうか。最近のニュースでもキャスターが「リンカーン」と発話しているのを聴きました。高校の世界史教科書レベルでも専門の歴史研究者の間でもおおよそ表記が一致しているにもかかわらず、メディアのレベルでも「リンカン」がなかなか浸透しません。
しかし、歴史の専門家も落ち着いていられません。もしわたしが社会史について歴史学入門のような講義で話す機会があれば、イギリスの社会史家Edward Palmer Thompson、すなわち「E・P・トムスン」に触れないわけにいかないでしょう。
あの大著『イングランド労働者階級の形成』は、「エドワード・P・トムスン」というカタカナ表記で、2003年に青弓社より日本語版が出版されました。
ながらく、Thompsonが「トムスン」と表記され、"p" の発音がカタカナ表記から抜けることが慣例になってきました。
このE・P・Thompsonのパートナー、Dorothy Thompsonもチャーチスト運動の研究者です。2001年の翻訳書の書誌情報は以下の通りです。
本書の「訳者あとがき」によれば、彼女は "p" が日本語のカタカナ表記に反映されないことを「いつも気にしていた」そうです。訳者が今回、Thompsonを「トムプスン」と表記し、今後も「トムプスン」の「表記を用いたい」と記しています(310頁)。
こうなると、エドワードもこのまま "p" の発音を反映させない「トムスン」のままでよいのか、という問題が出てくるのではないでしょうか。研究者であり、パートナーのご本人が気にしていたほどです。
ですので、今では、あなたは「E・P・トムスン」と表記し続けますか、それとも「トムプスン」に改めますか、と問われることになったと思っています。
まだまだ続く悩み
あまりにも大きな最近の動きを紹介しましょう。
それは何人かのイギリス史研究者が「ヒストリ」と書き始めていることです。近世イギリス史研究会にコメンテーターとして呼ばれたときに気づきました。たしかに辞書には長音記号はありません。「リ」です。一例を挙げておきます。
「コンピュータ」や「データ」のように、今後、「ヒストリ」とこれまであった長音が消えていくのでしょうか。もう少し様子をみさせてください。ちょっとすぐに決心がつきません。ひとまずイギリス史研究者の間で決着がついたら考えます。