浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

2020年度歴研大会特設部会準備ノート(10)――日歴協ウェブアンケート中間報告会の実施まで

 

はじめに

 今回は、日本歴史学協会(以下、日歴協)での若手研究者問題についての取り組みを時系列的に整理し、記録として残しておきます。先に活動を列挙しておきましょう。*1

 

1 日歴協若手研究者問題検討委員会の設置へ

 日歴協若手研究者問題検討委員会の設立には、2013年6月から2014年3月まで9ヵ月かかりました。その間、検討委員会を立ち上げるためのワーキンググループは、西洋史若手研究者問題検討ワーキンググループ(以下、西洋史若手WG)との間の複数回の会合を開き、歴史学における若手研究者問題についての互いの認識を深めました。そこでは、西洋史若手WGからの提案を下敷きに、今後、設立すべき日歴協若手研究者問題検討委員会の構成メンバーをどうするか、そして何をすべきかが議論となりました。

 正直にいえば、ワーキンググループに参加した日歴協側の委員は、構造的な問題としての若手研究者問題に対して、具体的に何をすればいいのかについて具体的なイメージを持っていない印象でした。会合は、西洋史若手WGから意見を聞くという、おおよそ一方向的な感じでした。

 もちろんいくつか意見交換が行われましたが、これまでの振り返りで議論になった論点について、その意義をひとつひとつ日歴協側の委員に理解してもらうというものでした。都合のつく西洋史若手WGのメンバーが、会合に出席し、意見交換を行い、それを受け取って日歴協側の委員は常任委員会で説明するという流れでした。

 この9ヵ月の間に決めたことは、まず 日歴協若手研究者問題検討委員会の構成メンバーについて、伝統的な日東西の三区分に準じるかたちで日本史・東洋史西洋史のバランスを考えて構成すること、次に西洋史若手WGが行ったウェブ・アンケート調査を、今度は歴史学全体に広げて行うこと、の2点でした。

 この時点では、わたしも西洋史若手研究者問題検討ワーキンググループの立場で、ときおり会合に参加し発言する感じでした。個人的には、ウェブ・アンケート調査だけではなく、すでに西洋史若手WGの活動で出てきたいろいろな具体的な提案を行っていくべきと考えていました。しかし、日歴協側ではそれらを引き受けて、行動に移すための体制がない感じでした。

 その後、日歴協若手研究者問題検討委員会の一員になっても、いまいち日歴協の体制がよくわからず、なぜ具体的に動けないのかはわかりませんでした。この「検討委員会」は、日歴協にとってあくまで暫定的・一時的な組織であって、お試しのようなものでした。ですので、西洋史若手WGから検討委員会に入ったわたしのようなメンバーはあくまで意見をいうことができるだけであって、常任委員会で認められた範囲での活動に限られました。

 「検討委員会」から日歴協の「特別委員会」になって初めて、いろいろと具体的に活動できるようになりました。日歴協の「特別委員会」とは常設委員会ということです。いえ、日歴協側の委員が「検討委員会」の段階で、主体的に動いてくれれば、だいぶ違ったと思いますが、それでもつねに活動について常任委員会の承認が必要となるので、やはり難しかったかもしれません。

 

2 日歴協若手研究者問題検討委員会の実質的な活動開始へ

 こうやって日歴協の活動を振り返ると、あれ?と思います。手元の資料では、2014年3月15日で開催された委員会は、たしかに「日本歴史学協会若手研究者問題検討委員会」の名前になっています。ところが実質的に活動を開始したのは、2015年3月31日の委員会からでした。

 あれ、この1年間、何してた?

 いろいろと過去の記録を振り返ると、わたしを含めた西洋史若手WG側の委員は自分たちのウェブ・アンケート調査の最終報告書作成とその報告会の準備に集中しなければなりませんでした。

 日歴協側の委員は、加盟団体から検討委員会への委員推薦依頼を行っていましたが、とくに加盟団体から反応はなかったようです。アンケート調査の質を高めるために、社会学の方に「検討委員会」に入ってもらうことになっていましたが、その候補案の記録があります。

 結局、検討委員会のメンバーが決まらず、日歴協で行うアンケートの案について若干の議論がありましたが、日歴協側の委員は、西洋史若手WG側の委員の提案を待つ感じでした。

 具体的に動いたのは、西洋史若手WGのウェブ・アンケート調査の各立場別報告書が完成し、2014年10月18日に開催された3研究会合同の報告会が終わってからでした。

 率直にいえば、日歴協側の委員ももっと積極的に動いてほしいと思っていました。ただ「特別委員会」の委員になってから、何となくその動きの鈍さも理解するようになりました。日歴協の委員は加盟団体から推薦されて委員になっています。日歴協の活動にあまり精を出す余裕がないのです。この組織上の問題は、いまでも残っていて、少なくとも若手研究者問題特別委員会の場合、その改善は大きな課題だと思っています。

 具体的な活動がまったく進みそうにない状態でしたので、加盟団体の推薦をまたず、現行の検討委員会のメンバーで日東西を念頭に、引き受けてくれそうな人に直接交渉することになりました。

 2015年1月24日に検討委員会の会合が開かれ、そこで声をかける予定の委員候補者を確認しました。その後、すぐに声かけを行い、ようやく検討委員会のメンバーが揃い、2015年3月31日に検討委員会が開催されました。

 

3 日歴協ウェブ・アンケート調査とその問題点

 さて、2015年3月以降、検討委員会は慌ただしく活動を始めました。すでに目標として、5月の歴史学研究会大会で日歴協若手研究者問題検討委員会の活動、つまりウェブ・アンケート調査の広報を開始することが決まっていました。

 西洋史若手WGにかかわっていたメンバーは、同じく5月に富山大学で開催される西洋史学会でのウェブ・アンケート調査最終報告会に向けて準備を進めていました。

 同時に、歴研大会でのチラシを作成し、ウェブ・アンケート調査を開始すること、そのための分析に必要な資金としてカンパを募ること、アンケート用のウェブサイトを仮構築することを行いました。

 歴史学研究会は、大会での日歴協ウェブ・アンケート調査の広報について承認してくれました。そして、総会・全体会・各部会で検討委員会のメンバーがそれぞれ分担して、ウェブ・アンケートの広報を行いました。

 その後、検討委員会のメンバーが歴史科学協議会大会でもカンパを募りました。

 そして、夏のウェブ・アンケート調査の実施に向けて、アンケート調査項目の具体的な検討を行いました。西洋史若手WGのウェブ・アンケート調査を参考に、追加すべき部分や改善点について検討しました。これがかなり大変でした。

 一方で、せっかくの機会だから、しっかりしたアンケート調査にしようという方向性と、その一方で、西洋史若手WGのものと大きく変えることなく早く分析結果を出せるようにしようという方向性の、2つの意見がありました。

 わたしは基本的に後者の立場でした。2015年の時点で、若手研究者問題への関心の低下を肌で感じていましたし、ウェブ・アンケート調査はあくまで行うべき活動の一つであって、あまりこれに力を集中させる意義は少ないと思っていました。ウェブ・アンケート調査とその分析結果を待って活動を始めるのではなく、すでに西洋史若手WGで議論されていたような問題に積極的に取り組むほうがよいという考えでした。

 ただ、これが歴史学の学会として最初に行うウェブ・アンケート調査なので、しっかりと調査項目を考えて取り組む意義はもちろん大きいものでした。最終的には、どうせやるならしっかりしたものにしようということで、西洋史若手WGのウェブ・アンケート調査とかなりの相違点が生まれました。その分、分析がかなり大変になるだろうと感じていました。

 さて、なんとか9月24日からウェブ・アンケート調査票が完成し、グーグル・フォームを使ったアンケートが始まりました。ところが、ウェブ・アンケートへの回答者数がひどく少ないままでした。歴史学に限らず、若手研究者問題への関心が希薄化していると感じていましたので、やはりという思いました。

 わたしは検討委員会のメンバーにすぎなかったので、日歴協常任委員会に参加できる委員に、日歴協加盟団体への広報はどうなっているかと問い合わせました。加盟団体にはアンケートについて文書で通知しているとの回答でしたが、そもそも加盟団体はこの検討委員会の設立に対して委員を推薦することもなかったのですから、とても文書の通知などでは積極的に動いてくれると思えませんでした。

 学会ではなく有志からなる西洋史若手WGの場合には、有志が会員となっている学会・研究会のメーリングリストや個人のSNSを通じて広報を行っていました。しかし、日歴協は加盟団体への文書での通知のみです。加盟団体がきちんと広報してくれなければ、このウェブ・アンケート調査は研究者の耳目にまったく止まりません。

 9月24日のアンケート開始から、およそ1ヵ月半過ぎて、回答者数はわずかに133名に過ぎませんでした。内訳は「ヨーロッパ」50名、「日本」47名、「南北アメリカ」5名、「東アジア」1名、「中国・朝鮮」8名、「その他アジア地域」4名、「ユーラシア」2名、と散々でした。

 日歴協の文書通知では、広報の機能をまったく果たしていないことが明らかでした。そのため、検討委員会のメンバーで各学会・研究会に声かけし、とくにメーリングリストを持っている組織では配信してもらうように頼む活動を行いました。どうして、日歴協の文書通知で事足りると思っていたのでしょうか。

 こうして回答期間を延長し、2016年3月末の回答終了までに何とか回答者数が518名まで増えました。しかし、西洋史若手WGのウェブ・アンケートへの回答者数が191名であったことを考えれば、予想よりも相当少ない数です。せめて1000名くらいは回答してほしいと思っていました。回答者の年齢も制限をつけず、かつ時代・地域も問わなかったのですから。

 個人的には原因として、①若手研究者問題への関心の希薄化、②学会もしくは日歴協への信頼のなさ、③広報の不十分さ・手段の少なさ、の3点が挙げられると思っています。

 

4 2017年2月の中間報告書の作成と3月中間報告会まで

 さて2016年3月にウェブ・アンケート調査回答を締め切った後、当然、分析作業が始まりました。ただ西洋史若手WGと比べて、調査項目をかなり増やしましたので、報告書の作成はかなり時間がかかるだろうと予想していました。

 西洋史若手WGが中間報告会を開催したように、もし報告書の作成に時間がかかるなら、日歴協でも中間報告書の作成と中間報告会を行えばよいという感じだったと思います。西洋史若手WGの中間報告書をモデルに、単純集計表を作成し、中間報告書を作成することは、何とかなりそうと感じていました。

 アンケート分析に協力してくれるアルバイトを探し、カンパを使って分析協力者に謝金を払うことで、夏休みの間に、単純集計表を作成しました。その後、冬休み期間にアルバイトをお願いし、クロス集計表を一部、先行して作成しました。最後、説明文をつけて中間報告書を完成させました。2017年2月に中間報告書をインターネット公開することができました。

 同時に、2017年3月に中間報告会の開催に向けて、準備を開始しました。とくに歴史学研究会に協力を依頼し、中間報告書へのコメンテーターの2名の候補者を出してもらうことになりました。1名は西洋史若手WGにお願いしました。

 2017年3月4日に開催された日歴協ウェブ・アンケート中間報告会は、日歴協の方にとっては多くの参加者を得て盛会だったというものです。しかし、参加したある若い人の感想は「若手のいない報告会」というものでした。

 ええ、それは想定内です。2014年10月に西洋史若手WGで開催した報告会があまりに参加者が少なかった経験がありましたので、すでに予想していたことです。大学院生・ポスドク・大学非常勤講師など、この問題に直面している当事者は、こうした会に直接参加する余裕はそもそもないのです。

 しかし、この会がTwitterで実況中継を行い、togetterまとめサイトで公開したことで、大きな反響を得ることができました。関心がないわけではなく、この問題の当事者が関与するための回路、あるいは手段の問題だったと思いました。

 

所感

 このときにはわたしは日歴協の委員というよりも、依頼された外部の委員という立場でした。そのため、日歴協の複雑な組織体系がまったく分かっていませんでした。なぜこんなに遅々としているのか、なぜ動かないのか、なぜ外部から参加した委員が主導しないと動けないのか、よく分かりませんでした。

 今でも組織の問題は残っており、委員であるうちに若手研究者問題特別委員会だけでも少しでも改善する方策を考えています。

 また、この活動を通じて痛感したことは、日本の歴史学界は数多くの学会・研究会があっても、歴史学界に一致して取り組む課題に対して、歴史学関係者に周知するための仕組みがないということでした。

 歴史学関係諸学会・研究会に加入する会員共通のメーリングリストが必要なのかもしれませんね。少なくとも日歴協に加盟している団体の会員にメールでウェブ・アンケートの情報が届けば、かなり回答者数が違ったと思います。また、非会員であっても自由に学会情報にアクセスできる媒体が必要だと思います。

 最後に、中間報告会ですが、コメントを依頼したものの断られた方がいます。その方は、「いまは歴史学だけでこの問題に取り組むのではなく、人文社会科学全体で取り組むべきだ」という趣旨でこの活動に反対されました。ちょっと根にもっています。

 歴史学のなかでもそれぞれの専門領域で抱える若手研究者問題の具体的な問題には、共通点もあれば相違点もあります。人文社会科学全般となれば、いっそうその専門分野ごとに抱える具体的な問題には、共通点だけではなく、相違点も存在するでしょう。それぞれの専門分野が抱える特有の問題にきちんと目を向けなければ、それは若手研究者問題を理解することにならず、抽象的な議論に終始するのではないでしょうか。

 「森をみて木をみず」という話だと思います。もちろん「木をみて森をみず」は望ましくないのですが、そうした森ばかりみる態度をとってしまうと、学会自体への若手の信用が得られないのではないかと思います。

 それぞれの専門領域での問題を認識すればこそ、それぞれの専門領域での対話が可能になり、また人文社会科学、さらには学問全体での議論が可能になるのではないでしょうか。

*1:2020年9月27日、読みやすいように、一部再修正しました。