浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

ドイツ学校教科書のなかの植民地主義――ローザ・ルクセンブルク財団ウェブサイトより

 2020年8月20日ローザ・ルクセンブルク財団ウェブサイトで、「教科書のなかの植民地主義」という短い論説が掲載されました。リンク先はこちらになります。

 はじめに「ブラック・ライヴズ・マター」運動とかつての植民地主義者の銅像を引き倒す動きを紹介し、こうした過ぎ去ったはずの植民地主義がまだヨーロッパに根づいていると述べます。そして、こうした人種主義批判は学校教育にも及ぶものであると問いかけています。

 そのうえで、現在のドイツの高校にあたるObestufe対象の歴史教科書、ここではCornelsen-Verlag、Klett-Verlag、そしてWestermannの3社の教科書のなかで、植民地主義の過去がどのように描かれているかが分析されています。

 わたしの専門にもかかわる内容でして、以下にその要点をまとめておきます。

過去の教科書、現在の教科書

 まず、1980年代の教科書では、いまよりも詳細にドイツ植民地主義の過去について言及があったといいます。ドイツ領西南アフリカ、現在のナミビアで20世紀初頭に生じたヘレロ・ナマの蜂起に対する鎮圧戦争、すなわち植民地戦争は、大量虐殺であり、植民地的抑圧に特徴的なものとして描かれていると評価しています。

 ところが現在では、ヨーロッパ国際政治中心の記述になっていると批判します。つまり、列強の競合と帝国主義の絶頂から第一次世界大戦へと至るという枠組みの中にとどまっているということです。

 まず、Cornelsen-Verlagのものは、約700頁のうちわずか1頁しかドイツ植民地主義に割かれておらず、またKett-Verlagは国内政治・ヨーロッパ国際政治のなかでしか位置づけられていないと批判しています。その一方で、Westermannは、ヘレロ・ナマに対する植民地戦争に重点をおいて8頁にわたって、20世紀最初の民族虐殺として描いていると紹介しています。

 

植民地主義・人種主義の歴史をどう学ぶか

 筆者はこのようなわずかな枚数で、生徒はどのように人種主義の問題を学ぶことができるのかと問いかけます。

 歴史教科書は過去と現在を結びつけて考えることが望まれるでしょう。植民地主義の歴史を考えるための事例として、たとえば植民地主義者の名を冠した街路の改称問題や新植民地主義が挙げられています。

 なかでも、Westermannの教科書は、ヘレロとナマに対する民族虐殺との向き合い方について、SPDと左翼党の間の議会討論、ヘレロの代表の要求、補償問題に関する資料が掲載され、教室での討論を促す工夫がなされているといいます。

 

反人種主義・反植民地主義的な批判を学ぶ教科書とは

 ヨーロッパ中心主義的な記述を避けるために、植民地支配に抵抗する側の声を資料として掲載すべきと主張されています。KlettとWestermannはアフリカ側の史料とヨーロッパ側の史料が1:4の比率にとどまり、Cornelsenにいたってはアフリカ側の史料は一点も掲載されていないと批判しています。

 そのうえで植民地主義の過去を誤解しかねない叙述に警句を発しています。西南アフリカでのドイツ植民地支配が絶滅政策だけではなく、「協同政策」もあったという描き方を批判しています。「協同政策」が、実際は経済的搾取のための労働力としての活用することが目的であることを見誤ってはならないということです。

 現在の政治でも、植民地主義の過去を美化する動きがあることに触れています。2019年冬の連邦議会討論で、「ドイツのための選択肢」(AfD)が植民地主義の過去を美化し、「白人の責務」論を歓迎するような発言をしたとのことです。

 筆者は、植民地主義という歴史的な不正義に対して、謝罪や街路名の改称、そして差別的な言動をなくしていくといった、具体的な解決の鍵を挙げています。

 最後に、反人種主義・反植民地主義的な批判へと導くような教科書をつくること、それは教科書の脱植民地化であって、まだ道半ばにあると締めくくっています。

 

 色々と考えさせられる論説でした。たしかにこうした視点で編まれる歴史教科書記述はどのようになるでしょうか。今後、この問いを念頭に置きながら、歴史教科書や教材を読み直してみようと思います。

 

【追記 2021年2月16日】

 ここで紹介した論説が以下のウェブサイトに転載されました。