浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

デジタルドイツ女性アーカイブ――「今日は何の日」ドイツの女性活動家紹介(2022年6月25日更新)

はじめに

 Digitales Deutsches Frauenarchiv(デジタルドイツ女性アーカイブ)のウェブサイトには、「Akteurinnen der Frauenbewegung(女性運動の女性活動家)」というページがあります。「女性なくして女性運動なし」という文言からリード文が始まります。

 

 

 同ページのリード文の後に「Alle Akteurinnen」のタブをクリックすると、アルファベット順にこれまでに公開されたすべての女性活動家の人物紹介論説が掲載されたページに移ります。2020年11月23日時点で、96名の論説が掲載されていました。

 このデジタルドイツ女性アーカイブは、SNSで「今日は何の日」とハッシュタグをつけて、上記の女性活動家の誕生日にその紹介ページを発信しています。

 以下、このページに誕生日順に少しずつリンクを貼っていきます。

 

2月

2月4日

Marie Kundt (4. Februar 1870 in Neustrelitz - 2. April 1932 in Berlin)

教育者・写真家。1913年以降、ベルリンのレッテ協会の写真専門学校の長として勤め、あわせて市の写真学校、手工業会議所向けの研修コースで教える。女性の技術職への進出に影響を与える。

 

2月12日

Carola Lohde (12. Februar 1889 in Berlin - 1959 in München)

マリー・クント(Marie Kundt)とともにベルリンのレッテ協会の写真専門学校で教育者となる。ベルリンの地区政治家としても活動、クントの死後、写真専門学校の長を引き継ぐ。

 

2月15日

Klara Marie Faßbinder (15. Februar 1890 in Trier - 3. Juni 1974 in Berkum bei Bonn)

第一次世界大戦時に強い愛国心から積極的に戦時協力に参加。しかし、戦時中に反戦意識が高まる。戦後、カトリックの女性団体で活躍。女性解放と平和運動、とくに独仏間の友好に寄与。ナチ体制を拒否し、公立学校から追放される。冷戦期の再軍備に反対する女性運動および東西ドイツの対話に尽力。

 

2月27日

Bertha Pappenheim (27. Februar 1859 in Wien - 28. Mai 1936 in Neu-Isenburg/Hessen)

フロイトのヒステリー研究のなかで、「アナ・O(Anna O.)」として知られる。19世紀末・20世紀初頭の女性運動のもっとも重要な活動家の一人。ドイツ・ユダヤ系女性法律家・作家、社会事業の先駆者、婦女売買撲滅運動の闘士。ユダヤ系コミュニティのなかの女性の権利向上にも尽力。

 

3月

3月5日

Rosa Luxemburg (5. März 1871 in Zamosc/Poren - 15. Jan. 1919 in Berlin)

社会民主党左派の代表的論客。国際的労働運動に取り組む。第一次世界大戦に対して反戦運動を展開、獄中生活を送る。1918年11月に釈放後、ドイツ共産党を共同で創設。カール・リープクネヒトとともに殺害される。

 

Elisabeth Rothschuh (5. März 1893 in Berlin - 1987 in Berlin)
1920年代半ばに社会福祉士の資格を取得後、すぐにドイツ最初の女性刑事の一人となる。当時の女性刑事課 Weibliche Kriminalpolizei(WKP)は児童・青年を担当する「母」の役割が期待された。ナチ期での職務継続と戦後に失職するも、1951年に職場復帰し、1953年退職。

 

3月14日

Anna von Gierke (14. März 1874 in Breslau - 03. April 1943)
ベルリン・シャルロッテンブルクで労働者家族向けの託児所を運営。シャルロッテンブルク当局より貧困児童向け給食事業を依頼され、1910年に就学年齢児童向けの福祉施設 Jugendheim を設立。第一次大戦後、ヴァイマル共和国で政界に進出し、青少年福祉事業の拡充に取り組むも、ナチ政権成立後、職を追われる。以後、フィンケンクルークの青少年福祉施設を運営し、両親のいないユダヤ系ほか児童を保護する。父は法学者でベルリン大学教授のオットー・フォン・ギールケ

 

3月15日

Lida Gustava Heymann (15. März 1868 in Hamburg - 31. Juli 1943 in Zürich)

19世紀末・20世紀前半のハンブルクにおける著名なパトロンであり、文筆家。ドイツ女性参政権運動・平和運動を推進した重要な人物の一人。1915年、婦人国際平和自由連盟(WILPF、Women's International League for Peace and Freedom、ドイツ語では IFFF、Internationale Frauenliga für Frieden und Freiheit)の共同創立者、後に名誉議長となある。平和活動家としてナチ党によって攻撃され、1933年のナチ党政権掌握後、アニータ・アウクスプルクとともにスイスへ亡命。1943年にチューリヒで亡くなる。

 

3月26日

Louise Otto-Peters (26. März 1819 in Meißen - 13. März 1895 in Leipzig)
文筆家・ジャーナリスト・女性運動家。1846年に『城と工場』を執筆、検閲を受けながら刊行(完全版の出版は1996年)。1847年、詩集『あるドイツ少女の歌』で注目を浴びる。1848年革命期に数多くの論説・詩を発表、1849年に『女性新聞』を刊行。1865年にライプツィヒで創設された全ドイツ女性協会の発起人の一人。同協会の議長を長年務める。1895年に亡くなるまで、アウグステ・シュミットともに同協会の機関誌『ノイエ・バーン』を編集する。生涯に60冊以上の著作を残す。

 

Alice Prausnitz (26. März 1906 in Curepipe auf Mauritius - 1996 in Plön, Schleswig-Holstein)

法律家。戦後ハンブルクの最初の州裁判所長官。ドイツ法律上の女性の法的平等に尽力。1933年7月にベルリンで司法国家試験に合格するも、「非アーリア出自」の理由で裁判所補佐官の任命を拒否され、司法業務から追放される。ナチの迫害に遭いながらも、戦後、司法界に復帰。

 

4月

4月3日

Mathilde Franziska Anneke (3. April 1817 in Landgemeinde Hiddinghausen (Sprockhövel) - 25. November 1884 in Milwaukee/Wisconsin US)

19世紀における最も重要な女性革命家・女性法律家の一人。1848年革命の際に文筆と銃でバリケード戦を戦う。亡命地のアメリカ合州国で女性参政権運動の先駆者になる。

 

Marie Calm (3. April 1832 in Arolsen/Waldeck - 22. Februar 1887 in Kassel)

文筆家・教育者。19世紀半ばの市民層による女性運動の先駆者の一人。女性の中等・高等教育と女性教育者の専門化に取り組む。フランス語圏スイス、イギリス、モスクワへ家庭教師と教師経験を積み、その後ドイツの様々な女学校で教える。1869年にアウグステ・シュミットとともにドイツ女性教師・教育者協会を設立。1875年以降、全ドイツ女性協会の理事を務める。

 

4月9日

Helene Lange (9. April 1848 in Oldenburg - 13. Mai 1930 in Berlin)

女性の平等な教育・職業機会を目指す。1890年に全ドイツ女性教師協会(Allgeimeiner deutscher Lehrerinnenverein)を設立。ドイツで市民層出身の女性教育と職業機会の開放に決定的な役割を果たす。男性世界の欠落した発展に女性の文化的影響を加えることで改善することを主張。母性を強調し、ドイツ女性運動の穏健派に位置づけられる。

 

4月10日

Edith Oeser (10. April 1930 in Gera - 2. Juli 2005 in Berlin)

ドイツ民主共和国国際法学者、平和と女性差別の問題に取り組む。労働者家庭に生まれ、戦後、ライプツィヒ大学で法学を学ぶ。1969年、ベルリン・フンボルト大学国際法教授。1980年代に国際法学会と法学者協会の副会長を務める。1982年、国連女性差別撤廃委員会の専門委員に選出。

 

4月11日

Johanna Elberskirchen (11. April 1864 in Bonn - 17. Mai 1943 in Rüdersdorf)

フェミニストであり、同性愛のために闘った女性活動家・評論家。社会民主党員として女性労働者を擁護し、党内の二重基準を「性搾取体制」と批判することも。1910年以降、プロイセン州女性参政権協会支部でも活動、全国組織化に尽力。1913年、社会民主党より除名。1914年、科学的人道委員会の委員に選出。1920年代はレズビアンとして社会活動に取り組む。1933年のナチ政権成立後、政治的迫害を受け、病と貧困のなかで亡くなる。

 

4月12日

Emmy Beckmann (12. April 1880 in Wandsbek (heute Hamburg) - 24. Dezember 1967 in Hamburg)

ハンブルク最初の高等学校評議員。女子・女性教育、女性教員育成に取り組む。ヘレーネ・ランゲの知己として、全ドイツ女性教員協会の議長となる。ナチ政権によって国家公務員職より早期退職させられる。戦後に復職し、女子教育の活性化に尽力。

 

4月18日

Ingrid Sonja Liermann (18. April 1926 in Hamburg - 12. April 2010 in Hamburg)

未婚の子として生まれ、児童養護施設を転々とする。また、レズビアンであることを告白。ナチ体制下では「健全な民族身体」とみなされず、強制収容所に送られる。戦後、ハンブルクレズビアン女性の自由な空間であったレズビアン・バー「イカ・シュトゥーベン(Ika-Stuben)」で働き、また事業を引き継ぐ。同性愛者への社会的な差別に対して闘う。

 

4月19日

Alice Salomon (19. April 1872 in Berlin - 30. August 1948 in New York)

ドイツ女性運動・国際女性運動を代表する活動家。ベルリンで女性支援活動に従事、ドイツ倫理文化協会の社会問題案内所で書記、のちに団体の長を務める。1900年、ドイツ女性協会同盟(Bund Deuscher Frauenvereine、BDF)の最年少の理事会メンバーに選出され、書記、議長代理を歴任。1908年、ベルリンに最初の「女子社会事業学校(Soziale Frauenschule)」を、さらに第一次世界大戦までにドイツ各都市に14の「女子社会事業学校」を設立。1933年にナチによって公職追放・国外退去を強いられ、米国に亡命。

 

5月

5月3日

May Ayim (3. Mai 1960 in Hamburg - 9. August 1996 in Berlin)

ドイツのアフリカ系コミュニティの著名な活動家。ドイツ人女性とガーナ人留学生の間に生まれ、すぐに施設へ入れられる。生後18ヵ月でドイツ人家庭の養子となる。ミュンスターでドイツ語および社会科を、レーゲンスブルクで心理学・教育学を学ぶ。ガーナ旅行後、1986年にレーゲンスブルクで教育学の学士号を取得。その後、西ベルリンへ移住し、米国の研究者・活動家・詩人オードリー・ロードと知己を得る。その学士論文『肌の色を告白する(Farbe bekennen)』(1991年)を出版し、Afrodeutsch(アフリカ系ドイツ)の概念を発展させる。1995年、詩集『ブラック・ホワイトのなかのブルース』を出版。1996年、投身自殺。

 

5月5日

Ingund Mewes (5. Mai 1934 in Hannover - 18. Februar 2005 in Köln)

ケルンの舞台俳優、劇場支配人、ラジオ番組アナウンサーで、ドイツの妊娠中絶に関する刑法218条へ抗議した初期のフェミニスト活動家。ナチズムに批判的な両親のもとで育つ。自身も通学期に「カトリックのナチ女性教師」より、ヒトラー式敬礼を拒んだことで体罰を受ける。この経験から生涯にわたって平和主義・反ファシズムを貫く。1971年7月、29人の女性とともに、218条に反対する86万6000人の署名を法務大臣に提出。運動のカリスマ的存在になる。

 

5月14日

Hilde Lion (14. Mai 1893 in Hamburg - 8. April 1970 in Hindhead/Surrey)

社会学者、教師、社会教育者、社会改革者。ハンブルクの富裕なユダヤ商人の家に生まれる。両親の離婚後、女性家庭教師・家事奉公人の庇護のもとで育ち、女性教師を志す。また、女性運動の指導者ゲルトルート・ボイマーとマリー・バウムが運営する教育機関社会福祉士職の専門課程を修め、彼女らと親交を深める。1924年ケルン大学で「階級闘争的・カトリック宗派的ドイツ女性運動」(1926年に『女性運動の社会学』として出版、1933年ナチにより禁書処分)で博士号を取得。アリーセ・ザーロモンがベルリンで設立した社会事業女学校(Soziale Frauenschule)、さらにドイツ社会・教育女性事業アカデミーで勤務、1929年にはアカデミーの機関長となる。1933年11月、ナチの迫害によりアカデミーは解散、彼女はイギリスに亡命。ドイツから避難した児童のための寄宿学校を設立し、1960年の閉鎖まで運営した。

 

5月23日

Lotte Hahm (23. Mai 1890 in Dresden-Löbtau  - 17. August 1967 in Berlin-Wannsee) 

ヴァイマル共和国期のサブカルチャー文化を政治的・攻撃的に代弁した中心人物。1926年にベルリンに最初のレズビアン・バー(Damenklub Violetta)を開店。とくに、1932年まで、レズビアンおよび "Transvestiten(女装する男性)" を組織化。レズビアン雑誌に文章・写真を寄稿したり、様々なイベントを企画。1933年、ナチ政権により同性愛関連の活動が禁止されたのち、転業を強いられるも、密かに活動を続ける。

 

5月24日

Marie Goegg (24. Mai 1826 in Genf - 24. März 1899 in Genf)

スイスにおける最初の女性権利向上運動を推進した一人。早くから社会主義思想に触れる。バーデンの1848年革命指導者アーマント・ゲッグと結婚し、ロンドンへ移住。そこで女性運動と関わる。夫とともにジュネーヴに戻り、平和・自由のための国際連盟(Ligue internationale pour la paix et la liberté)を設立。1868年に同機関の中央委員会に選出。同年、国際女性協会(Association internationale des femmes)を設立し、議長となる。1869年、スイスで最初の、また国際的な視点をもつ女性新聞を編集。その後もスイスでの女性権利向上のための活動に尽力。

 

5月25日

Alice Herz (25. Mai 1882 in Hamburg - 26.  März 1965 in Detroit, Michigan, USA)

自由結婚の普及と女性参政権運動に尽力した活動家。ハンブルクユダヤ系商人の家に生まれる。女性運動に早くから関心をもつ。1907年にユダヤ教共同体から脱退。1908年にメクレンブルク=シュヴェリーンで女性参政権獲得をめざす地域団体を設立。第一次世界大戦直後、ドイツにおける女性参政権の実現に働きかける。ベルリンに移住後、ナチズムから逃れるため、1930年代初頭にスイス経由でフランスへ移住。1932年以降、婦人国際平和自由連盟に加入。社会主義者と知遇を得て、反ファシズム活動家、ジャーナリスト、平和活動家として尽力。1942年、米国に亡命。第二次大戦後はクエーカー教徒となり、米国での平和運動公民権運動に関与。

 

5月26日

Margarete ,Marga‘ Meusel (26. Mai 1897 in Falkenberg (Ober-Schlesien) - 16. Mai 1953 in Berlin) 

社会福祉活動家、家族研究者。プロテスタントの告白教会のメンバーとしてナチズムへの抵抗運動に加わる。1932年、ベルリン=ツェーレンドルフのブルクハルトハウスにある国内伝道協会の福音主義地区福祉局(1940年以降、国内伝道協会地区事務所)の長となり、1953年まで務める。ナチ期に、ユダヤ系のキリスト教徒を支援。1933年に「福音主義アーリア人への告白教会の課題について」を執筆し、ユダヤ系の人びとへの迫害に抗議。1941年以降、強制移送が始まると、生活必需品や身分証明書の偽造による比較的安全な住まいの斡旋などの活動を行った。

 

6月

6月1日

Caecilie Seler-Sachs (1. Juni 1855 in Berlin - 4. Januar 1935 in Berlin) 

ユダヤ教改革派の富裕な市民層出身。夫エドゥアルト・ゼーラーのアメリカ先史時代研究に関心をもち、研究・金銭の両面で支えるとともに、自らも研究に取り組み、講演や数多くの論考を発表した。1919年に、Frauenleben im Reiche der Azteken(アステカ帝国の女性の生活)を公刊する。ベルリンではテルト地区の女性協会に加入し、またレッテ協会写真学校卒業生のクラブを設立し、専門職女性の支援を行った。そのほか、フォルクスキュッヘ(民衆食堂)の活動に加えて、さらに女性参政権運動にも関与した。ブランデンブルク州女性参政権協会ベルリン西南グループの委員長になり、1914年に「家族と女性参政権」と題した講演を行うなど、積極的に取り組んだ。

 

6月7日

Paula Müller-Otfried (7. Juni 1865 in Hoya - 8. Januar 1946 in Einbeck) 

ヴィルヘルム期ドイツ社会の女性の地位向上を目指し、市民層・労働者層の女性が自立できる職業の必要性を主張。1899年に設立されたドイツ福音主義女性同盟のハノーファー支部で活動。1901年に全国組織の議長となり(~1934年)、また1904-1932年に同機関紙Evangelische Frauenzeitungの編集者を務める。1905年、ハノーファーで女性向けの福祉士・ソーシャルワーカーの国家資格を付与するセミナーを開設。ヴァイマル国民議会では、女性参政権を否定していたドイツ国民人民党の議員として選出、1920-32年まで同党国会議員。

 

6月8日

Leni (Helene) Alexander (8. Juni 1924 in Breslau [heute Wrocław], Polen - 7. August 2005 in Santiago de Chile, Chile) 

クラシックのニュー・ミュージックを代表するユダヤ教出自のドイツ系チリ人女性作曲家。ナチ政権による迫害を受け、1939年、家族とともにチリに亡命する。1949年から作曲家になるために4年間学ぶ。1950年代初期から作曲活動を開始。1950年代半ばから、フランス・イタリアなどで学ぶ。1969年までチリ大学で教鞭をとりながらも、ヨーロッパ、米国、ラテンアメリカ諸国を転々とする。1969年にパリで奨学金を得てパリへ移動。1973年にピノチェト軍事政権の成立とともに、2度目の亡命生活を経験。アムネスティ・インターナショナルほか、ピノチェト体制に反対する政治活動に関わる。

 

6月19日

Eleonore Romberg (19. Juni 1923 in München-Ramersdorf - 2. Aug. 2004 in München)

西ドイツ再軍備反対運動の著名な活動家、1956年WILPF(婦人国際平和自由連盟)ドイツ支部の委員、DDRソ連へ数度にわたって訪問。

 

7月

7月2日

Lily Braun (2. Juli 1865 in Halberstadt - 9. August 1916 in Berlin)

プロイセン貴族女性として生まれながら、政治・社会改革グループに接近し、論考を発表し始める。女権論者ミナ・カウアーと知り合い、ベルリンで社会民主主義者と接触し、ベーベルの『女性と社会主義』を読む。その後、社会民主党に入党し、『平等』を執筆する。雑誌『女性運動』を編集し、ブルジョワ女性運動の急進派に共感しつつも、その不十分さを非難する。労働者女性の生活状況を分析し、母性保護と包括的な母親への保障を要求した。1901年に『女性問題――その歴史的転回と経済的側面』を発表。1901年から1907年まで雑誌『新社会』を編集。また、1909年・1911年に2巻本で『ある社会主義女性の回顧』を出版し、大きな関心を呼んだ。

 

7月4日

Marie Munk (4. Juli 1885 in Berlin - 17. Jan. 1978 in Cambridge/Massachusetts, USA)

ベルリン初の女性弁護士・裁判官、ヴァイマル期に女性の権利向上のための改革を要求。1945年以後、婚姻・家族・離婚に関する法律に関して女性団体・連邦司法省・議員は彼女の提案に取り組む。

 

7月20日

Siddy (Sidonie) Wronsky (20. Juli 1883 in Berlin - 8. Dez. 1947 in Jerusalem)

20世紀前半の重要な社会改革家・福祉活動家、市民層の女性運動およびユダヤ系女性運動の代表的人物。社会福祉事業を(女性の)職業として専門職とすることに参加、最初にドイツ、次にパレスチナで活動。

 

8月

8月7日

Anna Elisabet Weirauch (7. Aug. 1887 in Galaţi, Rumänien - 21. Dez. 1970 in Berlin [West])

俳優・作家、とくにヴァイマル期に発表された小説三部作 Der Skorpion. Ein Roman (1. Band, 1919; 2. Band, 1921; 3. Band, 1931) が有名。ドイツ語圏で女性の同性愛を肯定的にテーマ化した最初の女性作家の一人。

 

8月12日

Annemarie Schönherr (12. Aug. 1932 in Zörbig - 21. März 2013 in Potsdam)

ドイツ民主共和国フェミニストの立場からの神学論を導入することに中心的な役割を果たし、また活動を推進した人物。

 

9月

9月10日

Marie E.P. König (10. Sept. 1899 in Forst, Lausitz - 5. Okt. 1988 in Saarbrücken Güdingen)

母権制研究者であり、その主張によって新しい女性運動に大きな反響を呼ぶ。

 

9月22日

Anita Augspurg (22. Sept. 1857 in Verden, Aller - 20. Dezember 1943 in Zürich)
ドイツ女性法律家の第一世代。帝政期からヴァイマル共和国期にかけて男女同権と国際平和を訴える。

 

10月

10月28日

Malwida von Meysenbug (28. Okt. 1816 in Kassel - 26. April 1903 in Rom)

1848年革命後、イギリスをはじめヨーロッパ各地での亡命生活を送る。1867年にMémoires d’une idealiste (entre deux révolutions, 1830-1848) を執筆。1876年にドイツ語版を刊行。自由と個人の自己決定権、女性の教育と経済的自立を主張する。ノーベル文学賞にノミネートされた最初の女性。

 

11月

11月6日

Hilde Radusch (6. Nov. 1903 in Altdamm bei Stettin - 2. Aug. 1994 in Berlin)

ヴァイマル期の共産主義運動・女性運動に参加、ナチによる迫害を逃れて身を隠す。戦後、レズビアン運動に関与。1974年に同志とともにGruppe L74を設立し、戦後最初のレズビアン雑誌UKZ(Unsere Kleine Zeitung)を創刊。1978年に発足したFrauenforschungs-, -bildungs- und -informationszentrums(FFBIZ、女性研究・教育・情報センター)の創立メンバーの一人。

 

11月13日

Marie Norden (13. Nov. 1812 in Tönning/Schleswig - 03. Juli 1878 in Dresden)

マリー・ノルデンはペンネーム、本名はフリーデリケ・マリー・エルネスティーネ・ヴォルフハーゲン(Friederike Marie Ernestine Wolfhagen)。歴史小説や社会批判に富んだ小説を多数執筆。女性解放運動で著名なルイーゼ・オットーから「解放された女性」と評価される。

 

Helene Stöcker (13. Nov. 1869 in Elberfeld/Wuppertal - 24. Feb. 1943 in New York)

ドイツの女性参政権活動家、哲学者、ジャーナリストで、女性運動のなかでも急進派の代表的人物。ジェンダー関係と性の改革を訴える。その「新しい倫理」を謳った哲学では、性的関係を正当化するものとして婚姻ではなく、もっぱら愛のみを認めた。性的抑圧の克服と性的対象として女性をみなすことに対して闘う。

 

11月15日

Erika Riemer-Noltenius (15. November 1939 in Kiel - 13. Juni 2009)

20世紀後半以降のブレーメン女性運動を代表する人物。女性のための政治活動に取り組む。「女性クラブ」(1988年)の設立、女子大学設立構想(1993年)、1990年代末以降のベギーネンホーフ・プロジェクトなど、他の都市の女性政治活動のモデルとなる。

 

11月22日

Charlotte Dietrich (22. November 1887 in Leipzig - 4. August 1976 in Berlin)

社会福祉向けの女学校の先導者であり、国民主義的な女性運動を代表する人物。ナチ期に抵抗せずに協力的な態度をとったことで忘れられている。

 

11月23日

Henriette Goldschmidt (23. November 1825 in Krotoszyen - 30. Januar 1920 in Leipzig)

民主主義者、平和主義者。ライプツィヒでの社会事業と教育学の先駆者。女性政治家として1865年から権利と義務を結びつけた女性の国家市民モデルを主張する。

 

11月25日

Lina Morgenstern (25. November 1830 in Breslau - 16. Dezember 1909 in Berlin)

主婦協会の創設者であり、かつ急進的な女権論者。児童書・児童向け教材を執筆、1866年よりベルリンの民衆食堂を開始、1890年代に「スープのリーナ」と呼ばれる。兵隊への補給業務に寄与すると同時に、平和運動に積極的に関与。1893年にドイツ平和協会の役員に選出される。

 

11月29日

Dorothee von Velsen (29. November 1883 in Zabre, Polen - 16. Mai 1970 in Kochel am See)

ドイツにおける市民的女性運動を代表する人物であり、国際的にも著名な活動家。歴史家であり、著述家。ヴィルヘルム期ドイツ、ヴァイマル共和国期、ナチ期、さらに1945年以降の復興期にいたるまで組織的な女性運動に関わる。第一次世界大戦後にドイツの女性運動が国際的女性運動と連携することに貢献。

 

Rosa Mayreder (30. November 1858 in Wien - 19. Januar 1938 in Wien)

初期オーストリア女性運動を代表する人物、著述家・理論家で、彼女の著作は現在でも参照されている。全オーストリア女性協会の副会長を10年勤め、また1919年に婦人国際平和自由連盟の議長となる。1990年代にオーストリア共和国最後の500シリング貨幣に描かれる。

 

12月

12月15日

Elke Mascha Blankenburg (15. Dezember 1943 in Mindelheim - 9. März 2013 in Köln)

楽家、ドイツで最初に著名となった女性指揮者の一人。音楽界での女性の存在を知らしめるために積極的に活動する。1978年、他の女性音楽家、作曲家、音楽関係者とともに、国際的なワーキンググループ「女性と音楽(Frau und Musik e.V.)」を設立。*1

 

12月27日

Gabriele Strecker (27. Dezember 1904 in Trier - 6. August 1983 in Bad Homburg vor der Höhe

戦後ドイツの民主化に、フランクフルト放送(Radio Frankfurt)の女性放送局(Frauenfunk)の局長として活動。1946年にアメリカ合州国で開催された国際女性会議に参加。米国占領当局から選出された唯一のドイツ人女性。国際的な女性運動に積極的に関わる。キリスト教民主同盟(CDU)に加入し、政治活動も行う。

*1:リンク先の論説では、設立年が1979年になっていますが、「女性と音楽」のウェブサイトでは1978年となっており、後者を採用しました。