浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

ポストコロニアル・ベルリン――「歴史を消し去りたいのではない」

 ブラック・ライヴズ・マター運動は、ドイツでの植民地支配の歴史との向き合い方をめぐる議論に火をつけた感があります。

 2020年8月7日、Norddeutscher Rundfunk (北ドイツ放送)のラジオ&テレビ局のウェブサイトで、Berlin Postkolonial という団体のスポークスマンとして活動する Mnyaka Sururu Mboro 氏へのインタビュー記事が掲載されました。

 

 

 Mboro 氏は、1978年にタンザニアからドイツへと留学しました。その際に、祖母からドイツ植民地支配の犠牲となったある人物の頭蓋骨を取り戻すことを依頼されたといいます。そのいきさつと Berlin Postkolonial の活動について説明しています。

 タンザニアは19世紀末にドイツ領東アフリカとしてその植民地支配下にありました。そのドイツ統治期の1905-1907年にかけて大規模な植民地支配への蜂起が起きました。ドイツはその蜂起を抑え込むための植民地戦争を行い、現地社会に大きな犠牲を強いました。殺害された蜂起の参加者たちのなかに、埋葬時に人類学の標本として頭部を切除され、ドイツに持ち去られました事例がありました。

 Mboro 氏は子どものときに「ルートヴィヒ」の洗礼名を授けられたものの、1968年、その名前を捨てたといいます。

 このインタビューでは、植民地主義を賞揚するような街路名や広場の名称を改める取り組みが説明されています。その際、たんに歴史的な過去を消すような、無価値な名称に変えるのではなく、植民地主義を批判し、抵抗した歴史に置き換えることを要求してます。

 この記事には、関連する色々なインタビュー記事へのリンクが貼られています。興味深いです。また時間があるときに読んでみます。

 

 

 そのほか、この問題の専門家として、歴史家ユルゲン・ツィンメラーのインタビューへのリンクがありました。あとで時間をとって視聴しないと。

 

【追記1 2020年12月11日】

2020年2月5日と8月18日の2度にわたって、デア・ターゲスシュピーゲル(Der Tagesspiegel)紙でも Mnyaka Sururu Mboro氏へのインタビュー記事が掲載されていました。以下、リンクを貼っておきます。

 

 

【追記2 2021年2月5日】

 2020年10月17日、Neues Deutschland紙オンライン版でも Mboro 氏へのインタビュー記事が掲載されました。