浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

「歴史家論争2.0」――マイケル・ロスバーグの論説より

 「現在の歴史(Geschichte der Gegenwart)」というドイツ語のウェブサイトがあります。

 

 

 このサイトに、2020年9月23日、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のホロコースト史研究者、マイケル・ロスバーグ(Michael Rothberg)氏の論説「比較を比較する――歴史家論争からムベンベ事件へ(Vergleiche vergleichen: Vom Historikerstreit zur Causa Mbembe)」が掲載されました。

 

 

 マイケル・ロスバーグ氏は、2009年に『多方向的記憶――脱植民地化時代にホロコーストを記憶する』という本をスタンフォード大学出版から刊行し、注目を浴びました。そのドイツ語訳の2020年刊行予定(いま2021年2月刊行に延びています)でして、この論説もそれと関連した寄稿のようです。

 

 

 この論説は、1986・87年に西ドイツ歴史家たちの間で生じた「歴史家論争」、すなわちナチズムによるホロコーストの比較不可能性をめぐる議論を、グローバルな視点で問い直すものです。

 現在、欧米圏を中心にホロコースト論の中核は「記憶の場」をめぐる議論に移行し、その端的な例として、2005年に建設された巨大なホロコースト記念碑が挙げられています。そのうえで、ブレグジット、トランプ現象、「ドイツのための選択肢(AfD)」の興隆、イスラエル政治におけるネタニヤフ政権の持続、ポーランドハンガリーでの修正主義政権など世界的な動向をみると、過去がもつ意義について思慮する文脈が変化したことに注意を喚起します。

 そして、「歴史家論争2.0」という節を設けて、カメルーン出身で南アフリカヨハネスブルク大学で政治哲学と歴史を教えるアチレ・ムベンベ(Achille Mbembe)氏をめぐる2020年春にドイツで起きた論争を紹介しています。

 ポストコロニアル批評の分野で多くの著作をもつムベンベ氏は、2020年8月に開催予定であったルール・トリエンナーレに招待され、講演するはずでした。そのトリエンナーレ自体は、新型コロナ感染症の拡大を受けて中止となりました。

 しかし、この中止の決定の前に、自由民主党(FDP)の文化政策を担当する政治家ローレンツ・ドイチュの公開書簡に端を発して、彼の講演を阻止しようという政治的な動きが起こりました。いわく彼の著作(Politiques de l’inimitié. Éditions la Découverte, Paris 2013)のなかに、イスラエル占領・定住化政策を南アフリカアパルトヘイトを彷彿させると言及した個所があり、これが「反ユダヤ主義」だと主張されたのです。

 これに対して、以下のインタビュー記事で、それを誹謗中傷と批判するムベンベ氏の主張が分かります。

 

 

 この事例を挙げて、ロスバーグ氏は「歴史家論争1.0」から「歴史家論争2.0」へと移行したといいます。つまり、ムベンベ氏は植民地主義の暴力とナチズムの暴力をほとんど比較していないけれどもと注釈をつけながらも、「歴史家論争」がかつてのナチズム対スターリニズムの二元論的な対置から離れて、より開かれた、グローバルな枠組みでの比較へと記憶文化が変化したと指摘するのです。

 最後に、この論説は「あらゆる比較の彼方――責任という問い」という節を設けています。そこでは、問題は決して比較自体ではなく、政治的・歴史的責任の問題だと述べて、持論を展開しています。

 かなり重要な議論ですね。もう少しきちんと追わないといけない気がします。