2021年2月3日、ドイツの文書館総合ポータルサイト Archivportal-Dにクルト・アイスナー暗殺をテーマにした史料解説のページが掲載されました。
第一次世界大戦末期に起きたバイエルンでの11月革命の過程を解説するなかで、その革命を主導した独立社会民主党の指導者であったクルト・アイスナーに焦点をあてられています。彼が政権を握った時期の成果として、8時間労働制の導入、女性参政権の提唱、聖職者による学校監督制の廃止が挙げられています。
また、彼は大戦勃発におけるドイツの戦争責任を示唆し、ドイツの戦争捕虜の早期釈放について警告したことが説明されています。このことが右翼・保守層の反発、そして裏切り者と呼ばれることになったとのことです。
1919年1月12日のバイエルン議会選挙でクルト・アイスナー率いる独立社会民主党は敗北しました。そして、1919年2月21日、新たに選出された議会で退陣を迫られるはずの議場に向かう途上で射殺されました。
この解説文は、最後にその後の政治的動乱、右翼的・国民的連邦政府およびヴュルッテンベルクより派遣された軍隊と義勇軍(Freikorps)によるミュンヒェンのレーテ共和国の軍事的鎮圧について言及することで締めくくられています。
掲載された史料は、ミュンヒェンの革命的労働者評議会のメンバーであったヘルマン・アイゼンフートによる追悼の辞(1919年2月)です。
ドイツ連邦文書館に所蔵されているクルト・アイスナーの遺稿史料については、デジタル化され、かつオンラインで閲覧できるようになっています。これについても以前にこのブログで紹介しました。関心のある方はどうぞ。
また、ドイツの文書館総合ポータルサイト Archivportal-D についてこのブログで紹介した記事はこちらです。
このほかに、このポータルサイトに掲載されたオンライン史料展示のうち、このブログでも第一次世界大戦後のドイツ帰還兵たちについての企画を紹介しています。