浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

湾岸戦争から30年によせて――ローザ・ルクセンブルク財団HPより

 2021年2月27日、ローザ・ルクセンブルク財団のウェブサイトで、「平和か、あるいは『イスラエルを救え』か――1991年湾岸戦争への反応にかんする討論によせて」という論説が掲載されました。

 

 

 この論説の標題、平和と「イスラエルを救え」という対置に、ちょっと驚きます。この対置と湾岸戦争はどのような関係があるのでしょうか。この論説の大意を紹介します。

 まず、サダム・フセイン政権下のイラクによるクウェート侵攻は、イスラエルではヒトラー政権下のナチ・ドイツの侵略行為となぞらえて議論されました。その際に、ナチ・ドイツの領土拡大や戦争を想起させる「アンシュルス(併合)」や「電撃戦」という言葉がクウェート侵攻を非難する言葉として使われていました。

 当時、東西統一直後のドイツでは、各地で大規模な反戦デモが広がり、ドイツ軍需産業コンツェルンであるブローム&フォス社を包囲する抗議行動、とくに毒ガス兵器の輸出阻止運動が起きました。

 それと同時に、ドイツ国内の反戦運動を「反ユダヤ主義」と非難する議論が生まれました。反戦運動フセイン政権のクウェート侵攻の「宥和」政策となる、あるいはフセイン政権の化学兵器(その一部はドイツ生産)がイスラエルの脅威となる、ということで、ドイツの反戦論者が反イスラエル、「平和原理主義者」、独裁者に対する「宥和論者の平和主義」のように位置づけられてしまった、とのことです。その結果として、ドイツの左派系論壇には深刻な不和が生まれてしまったといいます。

 

 湾岸戦争がドイツの左派にとって苦い記憶になっており、それが現在まで影響を及ぼしていることが分かります。ナチズムの過去がドイツの左派系の論壇にイスラエルパレスティナ問題に対する論争そのものを困難にする構図がみてとれるでしょう。