浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

「フェイクニュースとしての背後の一突き伝説」――ドイツ連邦文書館より

 ドイツ連邦文書館のホームページに「『フェイクニュース』としての背後の一突き(匕首)伝説」という記事が掲載されています。

 

 

 この記事では、いわゆる「背後からの一突き」(あるいは匕首)伝説を、ドイツ陸軍によって第一次世界大戦でドイツが敗戦した原因が前線ではなく、銃後の革命勢力、ストライキ運動、そして左翼の政党・政治家の和平に向けた取り組みによって「背後から襲われた」と主張されたものと説明されています。

 以下にこの記事を要約します。

 ドイツの敗戦原因をめぐる戦争責任問題、「背後からの一突き」伝説は、ヴァイマル共和国とその指導的な政治家たちにとって大きな負荷になりました。そして、この「背後からの一突き」伝説は、右翼の諸政党・諸集団によってヴァイマル共和国政治体制を不安定化させるものでした。

 そして、この問題の解明に向けて、いくつもの議会の調査委員会が設置されました。なかでも第2次調査委員会は陸軍最高司令部を招致し、「開戦原因と戦時の経過の解明」に取り組みました。

 1919年11月18日、招致された総元帥パウル・フォン・ヒンデンブルクは、調査委員会で、イギリス将校の弁といって「ドイツ軍は背後から刺された」と主張しました。それによって、彼は意図的に敗戦の原因を「銃後」に求める噂を強め、拡散させました。

 

 これらの調査委員会についての史料と同時代の関連刊行物は、「R 43 I Reichskanzlei」のファイル名で、ドイツ連邦文書館に所蔵されているとのことです(R 43 I/803-811)。

 

 このウェブ記事では、そのなかの一つ 『勝利の掌握は間近だった(Der Sieg war zum Greifen nah!)』(エーリヒ・クットナー編、1921年)という冊子の表紙の画像が掲載されています。挑発的なタイトルでしたが、この冊子は1918年の戦争終結時の軍事的な状況と、戦争が軍事的な側面から敗北したことを証明しているとのことです。同冊子についてのクルト・トゥホルスキーによる書評へのリンクも掲載されています。

 

 クルト・トゥホルスキーらヴァイマル共和国期の平和主義については、竹本真希子さんの研究をどうぞ。