浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

ポーランドの都市キェルツェで1946年に起きたポグロムについて

 2021年7月6日、ローザ・ルクセンブルク財団のホームページに「もっとも美しい夏の天気のある日――キェルツェにおけるポグロム、75年目を祈念して」という意味の論説が掲載されました。

 

 

 以下、この短い論説の内容を要約します。

 2021年7月4日、ポーランドのキェルツェで、1946年に起きたポグロムについての追悼式典が行われました。そこでは少なくとも、42名が殺害され、そのうちの3名はユダヤ教徒ではなかったとのことです。

 当時、キェルツェではユダヤ教徒が儀式のためにポーランド人の子どもをさらっているという噂が流れたそうです。そして、多くの住民がユダヤ委員会が入っていた建物を取り囲み、武装した治安維持隊はその住民を押さえるどころか、自らも建物に押し入り、無防備なユダヤ教徒たちほかを射殺し始めたとのことです。数時間後にようやく当局がこの流血騒ぎを止めました。

 

 このように事件の概略に触れたうえで、さらにその歴史的背景が説明されています。1939年にこの都市はドイツによって占領されましたが、その時点では、全都市人口の3分の1がユダヤ教徒でした。2万7000人がゲットーに詰め込まれ、戦争が終わったときには、わずかに500人しか生き延びませんでした。1942年8月20日から24日かけて2万人がトレブリンカ絶滅収容所へ強制移送され、そのほかの人々は現場で殺害されました。

 

 そのうえで、1946年のキェルツェでのポグロムについて、ポーランドにおけるカトリックユダヤ教徒の間の歴史的な関係が示唆されています。ポグロムの後、この出来事について、カトリック教会首座大司教は、ユダヤポーランド関係は戦後にひどく濁ってしまったが、しかしその責任は第一に、国家生活の指導的なポストを保持していたユダヤ教徒が担うべきであると、公言したとのことです。

 

 この論説を振り返ってみますと、長い歴史をもつポーランド社会におけるカトリックユダヤ関係、いいかえればユダヤ教徒に対する差別の歴史は、ナチ・ドイツ占領下の絶滅政策を経ることで、いっそう急進化し、戦後のポグロムを引き起こした、ということだと思います。