浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

ナチ親衛隊によるルンブラでの虐殺――ドイチュラントフンクより

 1941年11月30日と同年12月8日、ラトビアのリガ近郊に位置するルンブラの森で、2万7500人のユダヤ系の住民がドイツのナチ親衛隊と警察部隊によって射殺されました。その80周年を機に、2021年12月8日、ドイチュラントフンクのウェブサイトに特集記事が掲載されました。

 

 

 1941年9月29-30日にキエフ近郊で生じたバビ・ヤール(Babyn Yar)での虐殺に次ぐ、最大の大量虐殺であり、それが忘却されていることに警句を発する記事です。

 内容はまず目撃者の証言に始まり、ナチ親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーの意図についての歴史家ペーター・クラインさんのコメントが続きます。そのうえで、先行するバビ・ヤールの虐殺に言及した後、ハンブルク州裁判所の文書記録が紹介されます。そこでは、ヒムラーがこの組織的な大量処刑、絶滅政策を「祖国の義務」であると誓ったことが指摘され、どのように殺害が行われたかが記されています。さらにベルリンから強制移送された1000人ほどのユダヤ系の人びとも犠牲になったことが明らかにされています。

 続いて、ナチ親衛隊がこの殺戮の痕跡を消し去ろうとしたこと、この虐殺の主たる責任者であったフリードリヒ・イェッケルンは1946年にリガでソ連軍事法廷によって死刑を宣告され、執行されたこと、そして最後に2002年になってようやく記念碑が設置されたことが述べられています。