浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

1921年リガ平和条約を振り返る――nd紙より

 2022年2月25日、ドイツの左派系メディアの nd 紙に、ロシアによるウクライナ侵攻を念頭に置きつつ、1921年3月18日のリガ平和条約を考察した記事が掲載されました。

 

 

 冒頭部分を紹介します。

 第一次世界大戦の東部戦線には勝者はおらず、同盟国側のドイツおよびオーストリアも、連合国側のロシアもそうであった、といいます。そして、第一次世界大戦は、ポーランドを分割していた3つの国、つまりドイツ、オーストリア、ロシアのいずれもその領域から退去させる結果になったことを確認しています。そのうえで、西部戦線と比べて、東部戦線の地域では、ヴェルサイユ体制はきわめて不安定であったこと、そしてポーランド人、ウクライナ人、ベラルーシ人、リトアニア人、さらにユダヤ教徒たちが隣人として居住していた地域で武力衝突が続いたことが説明されます。

 続く本文では、1919年4月のポーランド軍赤軍の戦闘開始から、1920年秋の戦闘停止と講和交渉の開始、さらに1921年3月18日のリガ平和条約までの経緯が整理されています。

 最後に、著者のホルガー・ポリットさんは、「100年以上も経た後に、ロシア大統領ウラジミール・プーチンはいまでは戦時暴力の行使のために、レーニンボルシェヴィキが根本的なロシアの利益に反してソヴィエト・ウクライナを創出するという罪を犯した、という信じられない主張を述べている」と批判しています。

 

 はっとさせられたのは、3度のポーランド分割ののち、ナポレオンによって一時的にワルシャワ公国が成立するも1815年のウィーン会議でつぶされたことと、第一次世界大戦およびその後の戦争継続をつなげて議論している点です。まだまだ第一次世界大戦の理解が西部戦線に偏重して、東ヨーロッパの視点から理解できていない気がします。色々と研究成果は出ているので、この機におさえておきたいです。