浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

ローマ・クラブ「成長の限界」から50年――nd紙より

 1972年3月2日に発表されたローマ・クラブの「成長の限界」から50年ということで、3月1日にドイツの左派系 nd 紙より、当時、ドイツの左派がこの報告書をどのように受け止めたかを振り返る論説が掲載されました。

 

 

 当時のドイツの左派知識人は、この報告書に対してかなり距離をとっていたと指摘されています。その理由には、ローマ・クラブがエリート主義的で透明性を欠く科学者・事業家のサークルであったこと、そしてまた成長の終焉への要求を資本主義諸国に対してだけではなく、環境負荷の責任を、「現実社会主義諸国」・「南の国々」などと差別化することなく、あらゆる国々に共有させたことを挙げています。

 その当時の左派の論壇では、環境問題の解決は資本主義への勝利まで延期される、つまり優先順位が低かったと述べられています。そして、成長を批判することは、マルクス主義者ではありえなかったとも指摘されています。また、西ドイツの左派陣営にとっては雇用を守ることが重要でした。低成長は賃金労働を減少させるものと解釈されたのです。

 その一方で、東ドイツドイツ社会主義統一党に批判的な左派知識人のなかには、環境問題とマルクス主義の統合を目的と議論が現れたといいます。西側の消費と経済政策を追い越すことが難しいため、教育、解放、芸術、持続可能性、あるいはリサイクリングといった成長以外の価値に焦点をあてて社会主義を主張するようになったと説明されています。また、その一部には、1970年代末に、西ドイツの緑の党の結成に参加したとのことです。

 最後に、いずれにしても、このローマ・クラブの報告書は政治潮流を持続的に変えていく刺激になった一方で、左派陣営ではこのテーマにしっかりと資本主義批判を合わせていち早く取り組む機会を逃したと批判されています。

 

 「成長の限界」報告書は、社会の教科書で欠かせないワードですね。なぜ成長重視の思考が半世紀以上経ても持続するのか。この半世紀を通じて、なぜ環境問題の優先順位が上がらないのか。こうした問いに対して、この論説は、当時の社会的な受け止め方を通じて理解しようとするものでしょう。学生の卒論のテーマになりそうですね。