2022年3月25日、ドイツ語圏の左派系メディア、nd のウェブサイトに、「一時的な協定」と題して、第二次世界大戦後のライプツィヒ大学が左派知識人にとって果たした役割を解説する論説が掲載されました。
1950年代、ライプツィヒ大学は、ドイツ民主共和国を越えて、反ファシズム=民主主義、社会主義、また市民的知識人など幅広い交流の場になったというものです。冷戦の加速化、ソ連におけるスターリン批判に対するドイツ社会主義統一党指導部の反応、そして1956年のハンガリーとポーランドにおける蜂起を受けて、この実験的な交流は失敗したと指摘されています。
それでも、ライプツィヒはドイツ民主共和国のなかで、批判的・社会主義的知識人の記憶の場であり、また当時、公式には沈黙させられ、また今日では忘れ去られたと述べられています。
かなりしっかりした論説です。見出しは以下の通りです。
- Neubeginn nach Kriegsende(戦後の新しいスタート)
- Ein Ort für linke Intellektuelle(左派知識人の場)
- Aufarbeitung der Vergangenheit(過去への取り組み)
- Geistige Anstöße(精神的刺激)
- Legendärer Hörsaal 40(伝説的な第40番聴講室)
このテクストの元は、2021年度にフンボルト大学で、著者とバーバラ・ピヒトさんが担当したセミナー「Sozialisitischer Aufbruch. Leipziger Intellektuelle in den 1950er Jahren(社会主義的興隆――1950年代のライプツィヒの知識人)」の一部とのことです。
以前にベルリンに留学していたときに、ライプツィヒ大学と合同セミナーがあり、ライプツィヒに訪れたことがあります。また行ってみたいです。