浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

マルゲリータ・フォン・ブレンターノについて

 2022年9月9日、ローザ・ルクセンブルク財団のウェブサイトに、マルゲリータ・フォン・ブレンターノを紹介する記事が掲載されました。

 

 

 内容を要約します。

 1922年に生まれた旧貴族階級出身の彼女は、戦前にバチカンでドイツ大使館付参事官、戦後はイタリア駐在ドイツ大使を務めた父親をもっていました。まだ大学で学ぶ女性が少なかった1940年代末に、ハイデッガーのもとでアリストテレスに関するテーマで博士号を取得しました。その後、ドイツ連邦共和国の草創期に断固とした反ファシズムへの立場を採ります。ラジオ放送局編集者時代に、まだ後にホロコーストと呼ばれるテーマに取り組み、ベルリン自由大学に移ると、反ユダヤ主義と社会についてのセミナーを始めました。1950年代・60年代では、まだこのテーマについて語ることが難しかった時代だったと、著者のスーザン・ナイマンさんは指摘しています。 

 哲学は政治的なものと考える彼女は、核武装反対運動に参加し、また雑誌 『ダス・アルグメント(Das Argument、論拠の意』の創設者の一人となり、その時代の学生運動を支持する立場を採りました。1970年に大学の歴史のなかで最初の女性の副学長になりました。2年後にこの副学長職を辞任しますが、その理由は、トロツキストの経済学者エルネスト・マンデルを教職のポストに招聘したところ、ベルリン市に拒絶されたことに抗議するためでした。

 彼女は最初の女性教授の一人として、男女同権をつねに主張した一方で、フェミニズム理論にもジェンダー研究にも関心を持たなかったとのことです。ただそうであっても、ベルリン自由大学のジェンダー研究センターは、彼女の名前を冠しています。

 著者が1991年に行ったインタビュー記録へのリンクもあります。