浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

ヴァイマル共和国初期の右翼による「暗殺」についての論説紹介

 2024年10月29日、ドイツ語圏の反ファシズム情報ウェブサイト Antifaschistisches Infoblatt に、ヴァイマル共和国初期の右翼による政治的暗殺についての論説が掲載されました。少し気になったので、リンクを貼っておきます。

 

 

 リード文では、1919年から1923年の間に、ドイツで数百人もの右翼による殺人事件があり、そのうちおよそ30件が「暗殺(Fememord)」であり、また同志に対するものであったと書かれています。

 

 「歴史的背景」、「犠牲者」、「組織」、「判決」の見出しによって構成され、最後に参考文献が指示されています。

 

 「犠牲者」の項目では、1919年から1922年におよそ376件の政治的意図をもった殺人事件が起き、そのうち354件が右翼によるもので、左翼によるものは22件にすぎなかったと指摘されています。政治家のうち有名な事例として、マティアス・エルツベルガー、ヴァルター・ラーテナウ、クルト・アイスナーが挙げられますが、その「暗殺」は同志に対するものだったといいます。現在知られている、30の「暗殺」の事件は、「裏切り者」に向けられ、私刑として行われたと指摘されています。"Fememord" の "Feme" は中世以来の概念で、秘密の欠席裁判による死刑判決を意味していました。ある女性への右翼の凄惨な殺人事件の例が紹介されています。

 こうした「暗殺」を行った右翼に対して、捜査は不十分な対応にとどまり、また判決も寛容だったと指摘されています。354件の殺人事件に対して、死刑判決はなく、1人あたりの殺人事件に対する平均拘留期間は4ヵ月に過ぎなかったとのことです。

 

 右翼の政治的暴力を許容する先にファシズム体制があることを例示しているといえるでしょう。