浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

ナチ期におけるシンティ迫害についてのラジオ放送劇――ドイツの公共放送局ドイチュラントフンクから

 2024年3月10日、ドイツの公共放送局ドイチュラントフンクのラジオ放送劇のコーナーに、アネッテ・クフナー作 "Keine Namen, niemand(誰もが名もなき人びと)"というドキュメンタリー作品が放送されました。83分5秒です。

 

 

 このドキュメンタリー作品の舞台は、ヴェストファーレンの一地区ノルトフィーアテルです。そこで200年もの間、シンティの人びとは、ほかの村人とも違いがほとんど分からないほどになじんで生活していました。しかし、ナチ期にその人口の半分がアウシュヴィッツ絶滅収容所に送られることになりました。

 

 本作への批評が以下に掲載されています。

 

 

  アウシュヴィッツに送られた139人のうち、戻ったのはわずか11人でした。批評では、この作品がドイツの記憶文化に欠けているものとその問題を扱っていると述べられています。

 

1938年11月9日の「ポグロムの夜」のヴァーチャル展示――ドイツ連邦文書館より

 ドイツ連邦文書館のヴァーチャル展示シリーズの一つとして、1938年11月9日から10日にかけての夜に、ドイツ全土でナチ体制が組織したユダヤ系の人々に対する襲撃が起きたポグロムが取り上げられました。

 

 

 ポグロムのきっかけとなった、パリでのドイツ外交官エルンスト・フォム・ラートの暗殺事件を起こしたユダヤポーランド人ヘルシェル・グリュンシュパンに関する史料など19点が掲載されています。

 

反ユダヤ主義についての教材リーフレット――ローザ・ルクセンブルク財団より

 2023年8月にローザ・ルクセンブルク財団より刊行された『反ユダヤ主義を定義する?――政治教育事業のための助言』というタイトルの冊子を知りました。

 

 

 2年ほどの間、反ユダヤ主義研究センターの学際的な研究グループが、反ユダヤ主義の定義と概念をめぐる問題と集中的に取り組んできたそうです。そのきっかけは、メディアでの反ユダヤ主義の定義をめぐる論争があまり生産的でなかったことが指摘されています。

 そのため、上記の研究グループは、多元的な視点からこのテーマについてアプローチするハンドブックを編集しており、その要約版として、ここでリンクを貼ったリーフレットを先行して発表したとのことです。副題にもあるように、教材としての活用が念頭に置かれています。

 

1945年以降のハンブルクにおける右翼の暴力を記録するウェブサイト

 「1945年以降のハンブルクにおける右翼の暴力」というウェブサイトを知りました。リンクを貼っておきます。

 

 

 「地図」、「年表」、「テーマ」、「用語集」の項目が立てられ、それぞれのページで整理されています。 

 "Hamburg rechtsaußen. Rechtsextreme Gewalt- und Aktionsformen in, mit und gegen städtische Gesellschaft 1945 bis Anfang der 2000er Jahre(HAMREA、ハンブルク右翼――1945年から2000年代初めまでの都市社会における/とともに/に対した極右暴力と行動形態)"という研究プロジェクトの成果を公開するものです。

 地図と年表の整理が参考になります。

 

創設から1990年までのドイツ連邦憲法裁判所の訴訟資料が利用可能に

 かなり以前のニュースですが、2023年9月11日にドイツ連邦文書館のプレスリリースで、ドイツ連邦憲法裁判所に関する、1951年の創設から1990年までの期間の訴訟資料が利用可能になったことが発表されました。

 

 

 その訴訟関連文書は、訴訟手続文書、別冊、手稿、付録からなり、裁判所の作業手順から決定まで詳細に閲覧できるとのことです。その件数は11万件で、2016年に開始されたこのプロジェクトを通じて、ようやくファイルの査定を終え、公開にいたったと述べられています。

 たとえば、1950年代・60年代の判事の手稿について指摘され、なかでもドイツ憲法裁判所の最初の女性判事である、エルナ・シェフラーによる男女の同権を目指した資料にその尽力が明確になると紹介されています。