浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

ハンガリーのルカーチ資料館閉鎖に寄せて――Deutschlandfunk Kulturより

 2020年8月2日、ドイツのラジオ放送局ドイチュラントフンク(Deutschlandfunk)の文化部門のウェブサイト、Deutschlandfunk Kultur にハンガリーの首都ブダペストにあるルカーチ文書館の閉鎖に寄せた記事が掲載されました。

 

 

  この記事のリード文では、ルカーチブダペストから新左翼に大きな影響を与えたこと、ソ連式の共産主義モデルを拒絶したこと、1971年の死後、その住まいに文書館が設立されたこと、そして現政権の意に沿わなかったこと、が指摘されています。

 

 以前からこのルカーチ文書館が閉鎖の危機にあるというニュースを知っていました。以下にリンクを貼った論説の説明を読みますと、ハンガリーでの右翼・右派、そしてナショナリズムの高揚を背景に、2010年頃からその支持を得た政権によるルカーチ批判とルカーチ文書館に対する攻撃が激しくなったそうです。

 

 

  そのピークがブダペストの聖イシュトバーン広場からのルカーチ像の撤去だったとのことです。そして2018年5月24日、ルカーチ文書館のすべての出入口の鍵がハンガリー科学アカデミー図書館に移される決定がなされました。それによって文書館の職員が建物に入れなくなったと伝えています。

 

 Deutschlandfunk Kulturに掲載された記事では、国際的な抗議にもかかわらず文書館が閉鎖されてしまったことが指摘されています。ドナウ川に面したその住まいはルカーチがその晩年に過ごした場所であり、左派リベラル的な反体制派が出会う場でもありました。

 記事の中心は、ルカーチの親友であった、ヨージェフ・シゲティ(József Szigeti) の息子 ペーテル・シゲティ(Péter Szigeti) とのインタビューです。彼自身、哲学者でマルクス主義者であり、閉鎖の最後の日までルカーチ文書館で働いていたとのことです。現在、ブダペストのELTE大学の研究グループとともに、シゲティ氏はルカーチの往復書簡を編纂しているそうです。

 この記事の最後にある  Suche nach einem „Dritten Weg“ (「第三の道」を探して)および Sozialismus zwischen Plan- und Marktwirtschaft (計画経済と市場経済のはざまの社会主義)と題した2つの節でルカーチが目指した道を振り返っています。