浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

東ドイツ出身の歴史家、東西ドイツ統一後の学界での差別を語る

 2020年8月12日、ベルリンの日刊紙『ベルリナー・ツァイトゥング』(Berliner Zeitung)に、東ドイツ出身の歴史家ウルリヒ・ファン・デア・ハイデン(Ulrich van der Heyden)氏の寄稿が掲載されました。

 

 

 寄稿者のファン・デア・ライデン氏は、ドイツ植民地主義の歴史、とくに17世紀末から18世紀初頭にかけて、ブランデンブルク、のちプロイセンが西アフリカ沿岸に領有した砦、グロース・フリードリヒスブルク(Groß Friedrichsburg)の研究など数多くの研究成果を挙げています。主要な業績については、このコラムの末尾を参照ください。

 

  さて、この寄稿のタイトルに、「かつてこれほど多くの人的資本が投げ捨てられたことはなかった」とあります。この小論の目的は、東西ドイツ統一後、いかに東ドイツの人文科学系研究者が除外されてきたかを問いただすことです。

 

 まず著者は、ドイツ民主共和国で教育・研究機関に所属していた者のなかで、人文社会科学系の学問で生活できている者はほんの3~5%にすぎないと推測し、さらにそのなかで長期雇用の職に就けている者はほんのわずかだと指摘します。

 そのうえで、東西ドイツ統一後の著者自身の経験を述べています。ドイツ民主共和国の科学アカデミーの歴史学部門で30代・40代であった歴史家――つまり著者のことですが――は、もっぱらドイツ連邦共和国歴史学者のまえで3回も評価委員会で審査され、良い評価を獲得しなければならなかったそうです。

 東ドイツ出身の研究者は大学での職を求めて応募せざるを得なかったのですが、期間限定のプロジェクトで何とか雇用されることができただけでした。そのため、期限が切れるとまた次のプロジェクトを求めて雇用を探さなければならなったといいます。

 彼がドイツ民主共和国時代に開始して、30年もの経験をもって結論に至ったその研究に対する所見は、「刷新的」ではない、「歪んだ」イメージを持っている、「1960年代・70年代の言説」に囚われたままであるというもので、その研究をまったく否定するものだったとのことです。

 また、東ドイツ出身の歴史家が年金をもらうことへの西ドイツの学問的同僚からの嫉妬がつきまとうことも指摘されています。

 最後に、東西の人文系研究者の間には学問的な「同僚としての連帯」が存在しないと強く批判しています。

 

 これまでもこうした話を耳にしてきましたが、排除されたと感じる当事者、それも自分が関心をもってきた研究者の体験を読んで、身につまされました。著者については、以下の文献リストの「アフリカ沿岸の赤い鷲」と題された著作で知りました。とても重要な研究で、すぐに取り寄せた覚えがあります。

 

  • Ulrich van der Heyden / Heike Liebau (Hrsg.): Missionsgeschichte, Kirchengeschichte, Weltgeschichte. Christliche Missionen im Kontext nationaler Entwicklungen in Afrika, Asien und Ozeanien. Steiner: Stuttgart, 1996.
  • Ulrich van der Heyden: Rote Adler an Afrikas Küste. Die brandenburgisch-preußische Kolonie Großfriedrichsburg in Westafrika. Selignow: Berlin, 2001.
  • Ulrich van der Heyden / Joachim Zeller (Hrsg.): Kolonialmetropole Berlin. Eine Spurensuche. Berlin-Edition: Berlin, 2002.
  • Ulrich van der Heyden (Hrsg.): Unbekannte Biographien. Afrikaner im deutschsprachigen Raum vom 18. Jahrhundert bis zum Ende des Zweiten Weltkrieges. Kai Homilius-Verlag: Berlin, 2008.
  • Ulrich van der Heyden: Der Dakar-Prozess. Der Anfang vom Ende der Apartheid in Südafrika. Solivagus Praeteritum: Kiel, 2018.