浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

ミュンヒェンの女性運動を想起する記念碑を――Hypothesesより

 今年のドイツ歴史家大会のテーマは「解釈闘争(Deutungskämpfe)」です。このテーマにハッシュタグ(#)をつけて、歴史学関係の各ブログで論説を掲載する「ブログパレード」が取り組まれました。

 その一つに、ミュンヒェンに、ドイツ最初の女性運動の民主主義的成果を想起する記念碑がなぜ存在しないのか、またその状況を変えるべきではないかという運動が起きています。その動きを紹介する論説が、人文社会科学系ブログ・プラットフォームであるHypothesesに掲載されました。リンクは以下の通りです。

 

 

 タイトルは、「ミュンヒェンの記念碑――女性運動は都市像のどこに残されているのか」という意味です。少し冒頭を紹介します。

 ミュンヒェンは1900年頃、女性運動の一つの中心であり、近代的で自由主義的な大都市、芸術・科学、文化・社会的な興隆が見られた都市でした。この地で、女権論者・フェミニストたちが交流し、組織化を進めました。この小論では具体的な名前が挙げられています。

 そして、1912年、ミュンヒェンは女性参政権のために最初のデモ行進が組織された都市になりました。さらに、1918年、第一次世界大戦が終わった直後、ミュンヒェンはドイツで最初の女性参政権が宣言された都市になりました。それには選挙権・被選挙権のいずれも含まれます。

 しかし、ナチが政権を奪取すると、女性団体は禁止あるいは解体され、その資産は没収され、資料館・文書館は破壊されました。女権論者はナチの明確な敵に含まれました。ナチ支配によって、ミュンヒェンの女性運動の歴史は忘却されたといいます。そして、ミュンヒェンの女性運動を想起する記念碑が公共の場にないことを指摘しています。