浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

「マルタ・ヒラースは誰だったのか」――匿名ベストセラー『ベルリンのある女性』をめぐって

 2021年9月22日、Hypothesesというサイトに、「マルタ・ヒラースは誰だったのか」という論説が投稿されました。

 

 

 2021年10月5-8日にミュンヒェン大学で開催された第53回ドイツ歴史家大会の全体テーマ「解釈闘争(Deutungskämpfe)」に合わせて、「ブログパレード」(Blogparade #Deutungskämpfe)、つまりハッシュタグをつけて大会を盛り上げようとする歴史系ブログと取り組みの一環として、この論説は投稿されました。

 ちなみに、Hypotheses は「人文社会科学系の研究ブログのためのプラットフォーム」を掲げる英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語サイトです。*1

 

 著者のマヌエラ・オスターマイアーさんは、ミュンヒェン/ベルリンの「現代史研究所(Institute für Zeitgeschichte)」の文書館に所属されています。

 

 さて、この論説では、『ベルリンのある女性(Eine Frau in Berlin)』という第二次世界大戦後にベルリンで連合軍兵士に何度も性暴力を受けた女性の体験記として、匿名で発行され、ベストセラーになった本とその著者であるマルタ・ヒラース(Martha Hillers)にかんする最新の研究状況が丁寧に説明されています。この本が第二次世界大戦終結は「敗戦か解放か」という問いを引き起こすものであったことから、本論説は「解釈闘争」のブログパレードと関連づけて執筆されました。

 

 以下、概要のさわり部分を紹介します。

 第二次世界大戦後の連合軍兵士によるドイツ人女性への性暴力については、1992年に製作されたドキュメンタリー映画「解放者と解放された者(BeFreier und Befreite)」がこのテーマをふたたび呼び起こしました。これは主にベルリンでおきた出来事に焦点を当てていましたが、戦争終結が「敗戦か解放か(Niederlage oder Befreiung)」というドイツ全体を巻き込む論争に発展したとのことです。

 さらに、10年を経て、2003年にふたたびこの体験記が Eine Frau in Berlin: Tagebuch-Aufzeichungen vom 20. April bis 22. Juni 1945 のタイトルで編集・出版されました。これは30ヵ国語に翻訳されるほどに受容されました。ちなみに、2016年、著者の希望で、この日記の原本、出版社との通信など関連史料は、現代史研究所文書館に譲渡されました。

 実は、この体験記はすでに1954年にアメリカ合州国で、A Woman in Berlin の題名で出版されていました。そして、1960年までに12ヵ国語で翻訳もされています。英語版だけで50万部も販売されました。しかし、1959年に出版されたドイツ語版はほとんど広まらなかったそうです。

 そして、匿名であった著者の死後、その名前がマルタ・ヒラースであることが明らかにされ、彼女がナチの宣伝機関で働いたジャーナリストであったことが知られます。

 その後はネタバレになってしまうので、要約はここまでにしておきます。マルタ・ヒラースは数ヵ国の言語に精通し、数多くの旅行経験をもつ経験豊かなジャーナリストで、たんなる「匿名以上(Mehr als Anonyma)」の存在でした。同名のタイトルの伝記が2015年に公刊されています。

 『ベルリンのある女性』については、以下の論考が学術的な検証を行っています。

 

 

 この論説ではこの論考に対するメディアの反応も紹介されています。歴史学現代社会の相互関係を映し出す事例といえるでしょう。

 

*1:以前に「家族の問題としての普仏戦争――Hypothesesより」(2020年11月12日掲載)でこのブログでもこのサイトを少し紹介しました。