ドイツ語辞書といえば、ドゥーデン(Duden)です。
ドイツ語正書法の基になった辞書を執筆したコンラート・ドゥーデン(Konrad Duden)は、1911年8月1日に亡くなりました。ドイツ連邦文書館ウェブサイトでは、10年前の2011年、つまり没後110周年に関連記事が掲載されました。
この記事の内容を紹介します。
コンラート・ドゥーデンは1829年1月3日にヴェーゼル(Wesel)で生まれ、同地で学校に通い、1846年にアビトゥーアを取得しました。その後、ボン大学で哲学、古典文献学、歴史、ドイツ語、文学を学びました。
ドゥーデンは卒業後、最初に家庭教師として働きはじめ、1859年にギムナジウム教師になりました。1869年にテューリンゲンのシュライツ(Schleiz)でギムナジウム校長の職に就きました。そこでの経験が、後の辞書作りの基礎となりました。
1876年に、ヘルスフェルト(Hersfeld)の王立ギムナジウムの校長となり、そこで、1880年に正書法によるドイツ語辞典(Vollständiges Orthografisches Wörterbuch der deutschen Sprache)を公刊しました。
1901年、彼の辞典を基に統一的な正書法が導入され、1902年以降、その規則がドイツのすべての邦国、さらにオーストリア=ハンガリー、スイスで正書法となりました。
1905年、ドゥーデンは退職し、1911年8月1日に亡くなりました。
ドイツ近代史の教科書的な叙述では、ナショナリズム研究でフィヒテやグリム兄弟が指摘されますが、ドゥーデンはどう位置づけられるのでしょうか。あまり関心がなく、意識してこなかったです。ちょっと調べてみようと思います。