浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

現代のドイツ新右翼と歴史修正主義――taz紙より

 2021年11月29日、ドイツの左派系新聞 taz紙オンライン版に、歴史家二クラス・ヴェーバーによる「新右翼とハッセルホルン一件書類――マルティン・グルントヴェークの帰還」という記事が掲載されました。

 

 

 キリスト教民主同盟(CDU)の専門家として、ナチズムの台頭とホーエンツォレルン家および保守エリート層の関係を小さなものという立場をとる神学者・歴史家ベンヤミン・ハッセルホルン(Benjamin Hasselhorn)についての記事です。一方で、彼はドイツ連邦議会の文化委員会で真面目なCDUの専門家という姿勢を見せながら、他方で新右翼の現場では匿名で扇動しているといいます。

 ここでは、ハッセルホルンが今日の新右翼知識人のプロトタイプであると評されています。それは素朴で保守的な信条をもつ中道に戦略的に接近し、その層を戦略的に新右翼の議論と結合させるものです。

 

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 以下に内容を要約します。

 

 この論説では、まずホーエンツォレルン家とナチズムの台頭をめぐる論争から振り返っています。

 2020年9月9日、ドイツ歴史家連合の議長であるエーファ・シュロトイバーがエッカート・コンツェともに公表した論説は、歴史学界がナチズムの台頭にホーエンツォレルン家が大きく寄与したことに合意があるという見解を明らかにするものでした。ところがこの見解に対して、10名の歴史家が開かれた議論を閉ざすものと抗議し、かつハッセルホルンの名誉を傷つけるものと非難しました。

 その後、「学問の自由ネットワーク」が設立され、「キャンセル・カルチャー」に反対すると、シュロトイバーに反対する多くの歴史家がこのネットワークで活動しているとのことです。

 

 しかし、シュロトイバーはこの論説で、ハッセルホルンをカッコつきで「ホーエンツォレルン家に近い『専門家』」と呼んだにすぎず、そもそも名誉棄損になるのか、と疑問を呈しています。

 そのうえで、2000年に設立されて以降、青年右翼を育成してきた国家政策研究所(Institut für Staatspolitik)に通ったと推測されるマルティン・グルントヴェークの諸論考とハッセルボルンの著作との類似性が論じられています。

 

 2014年、グルントヴェークの名で、右翼知識人の機関誌『ゼッツェシオーン(Sezession)』に5本の論考が掲載され、また国家政策研究所のプロジェクトである『国家政策事典』に14本の項目が寄稿されました。

 グルントヴェークの論考には、きわめて保守的な思想が叙述されており、その代表例が、2014年6月に『ゼッツェシオーン』に掲載された「右からの民主主義」であるといいます。そこでは、急進的な体制反対派の道ではなく、新しい右翼は、AfD(ドイツのための選択肢)とともに「健全な人間理解の名で」「中道」を動員することが主張されています。その後、グルントヴェークは姿を消したといいます。

 

 その後、公表されたハッセルボルンの著作、たとえば第一次世界大戦に関する「8月の経験」、「解放戦争における義勇兵の神話」などが分析され、マルティン・グルントヴェークの主張との一致が指摘されています。詳細な検討を踏まえて、かなりの確証をもって、マルティン・グルントヴェークがハッセルボルンの偽名であると結論づけています。そして、これはかつての歴史修正主義が舞い戻ってきた例であると述べられています。

 

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 右翼にとって、ホーエンツォレルン家とナチズムの台頭との関係を否定することは、次に、保守主義エリートによるヴァイマル共和国の破壊がナチズムを阻止する行為であったと史実を歪曲し、新右翼をナチの悪名から解放されることとつながるといいます。

 

 歴史修正主義と対峙するドイツの歴史家の現状の一端が浮き彫りになる論考だと思います。