浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

セティフの虐殺について――ローザ・ルクセンブルク財団HPより

 1945年5月8日から6月末まで、アルジェリアのセティフとその近郊を中心に発生した虐殺は、「セティフの虐殺」と呼ばれますが、この出来事についての論説が、2022年5月6日にローザ・ルクセンブルク財団ホームページに掲載されました。

 

 

 そのリード文によれば、実際には、虐殺はコンスタンティーヌ地域全土で起きたといいます。セティフとゲルマでは、植民地警察と民兵によって平和的な民衆の行進が銃撃されました。その行進は、ナチズムに対する戦いの勝利と、1944年1月のブラザヴィルでのド・ゴール将軍による解放の約束を思い起こさせるためのものでした。騒乱の結果、ヨーロッパ系住民には103名の死者が出ましたが、続くアルジェリア人に対する弾圧は、1万5000人から4万人と推計させる多くの犠牲者を生むことになりました。

 この悲劇は、1954年11月に始まる解放闘争の引き金になりました。今日のアルジェリアでは、5月8日は重要な記念日として、祝日となっているとのことです。