浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

ミレーネ・イェセンスカについて――アーロルゼン・アーカイブズより

 少し前の記事ですが、2021年10月8日、ナチズムによって迫害された犠牲者・生存者に関する史資料を収集・保管する活動に取り組むアーロルゼン・アーカイブズのホームページに、「ミレーネ・イェセンスカ――ジャーナリスト、フェミニストレジスタンス闘士」という記事が掲載されました。

 

 

 ちょっと気になりましたので、ここにメモしておきます。

 チェコ出身のミレーネ・イェセンスカは、多くの人にフランツ・カフカの恋人としてしか知られていませんが、多くの手紙を交換し、彼と別れた後も密に連絡を取り合っていたそうです。そこでは、彼女が女性ジャーナリストとして活躍し、またレジスタンス闘士であったことがはっきりすると紹介されています。

 24歳のときにミレーネ・イェセンスカはウィーンで、プラハ新聞の特派員として記事を書き始めましたが、プラハに戻ると新しい女性の役割を主張する熱い文章で有名になったとのことです。そしてチェコスロヴァキア共産党に入党しますが、1936年にスターリン主義を批判したことで党を除名されました。その後、文筆活動を続け、ナチズムによってプラハに逃れた亡命者たちについてのルポルタージュも書いたことが述べられています。

 プラハがドイツに占領されると、反ファシズム抵抗運動に積極的に参加し、地下雑誌で活動し、共産党幹部や身の危険にさらされた人々の逃亡の手助けをしたとのことです。しかし、1939年11月に彼女はゲスターポに捕まりました。ドレスデンでの裁判では、証拠不十分であったにもかかわらず、女性専用のラーフェンスブリュック強制収容所へ「再教育(Umerziehung)」のために移送されました。強制収容所ではほかの女性収容者をつねに勇気づけていたそうです。しかし、それまでの拘留生活・収容所生活で健康が悪化し、1944年5月、腎臓手術の結果、47歳で亡くなったと記されています。

 

 アーロルゼン・アーカイブズについては、以前にこのブログで紹介したことがあります。関心のある方はこちらをどうぞ。