2024年4月19日のTagesspiegel紙オンライン版で、「法学史――ナチ不正の時効に抗う競争」というタイトルの記事が掲載されました。
最初の段落を紹介します。
1959年にベルリン自由大学の学生グループが、ベルリンのシュテグリッツにあった住居からナチ期の判決と起訴状を捜索し、また当時社会主義ドイツ学生同盟(SDS)のメンバーだったラインハルト・シュトレッカーさんは、ポーランド、チェコ、ドイツ民主共和国の文書館から関連史料を入手しました。彼のイニシアチブで、ベルリンのSDSは「贖われていないナチ司法」というタイトルの展示会の準備を進めました。そこでは、どの裁判官・検事がナチ司法で死刑判決にかかわったか、そしていま連邦司法の業務に官吏として引き続き務めているかが、はじめて記録されるものでした。
ナチ期の裁判では、1945年までに5万件以上もの死刑判決が下され、その裁判官・検事の8割がナチ党員でした。1959年時点で、そのうち1000人以上がいまだに西ドイツの司法で勤務していたとのことです。そのスキャンダル的な実態をシュトレッカーさんは、展示会によって広く世に問おうとしたわけです。ただし、その展示は1959年秋に開催予定でしたが、その死刑判決による殺害告示の罪は、1960年5月に時効が来てしまう問題があったことが指摘されています。そこで、シュトレッカーさんは、展示会の前面に43人の現職の裁判官・検事が人道に対する罪で告発しました。
この記事は、その後の経緯について詳述しています。
法学分野におけるナチズムの過去の検証については、最近、よく目にします。このブログでも、以下のウェブサイトを取り上げたことがあります。関心のある方はどうぞ。