浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

プレッツェンゼーの「血の夜」について

 ベルリンにあるプレッツェンゼー記念館のホームぺージに掲載された、「プレッツェンゼーの血の夜」という記事を知りました。

 

 

 プレッツェンゼー記念館は、ナチ・ドイツの時代には処刑場でした。上のリンクを貼ったページの「血の夜」についての説明を要約します。

 1943年9月3日から4日にかけての夜に、ベルリンへの空襲があり、プレッツェンゼー刑務所も大きな被害がありました。独房施設が破壊され、ギロチン台が置かれた小屋も被害がありました。9月3日、ヒトラーは自ら、多くの死刑判決の刑執行が行われていないことを叱りつけていました。プレッツェンゼーだけで死刑判決をうけ、刑の執行をまつ者が300人以上いたとのことです。

 8人ずつ絞首台にのせられ、9月7日から8日にかけての夜に186人が絞首刑となりました。そのなかには、判決がまだ下っていない6人が誤って処刑されました。このミスはもみ消され、さらに刑の執行が続きました。9月10日までにさらに60人が処刑されました。7日から10日にかけて、250名以上が殺害され、そのなかにはドイツ人、フランス人、さらに多くのチェコ人の収容者がいたとのことです。

 

 プレッツェンゼー記念館には、ベルリンに留学していたときに、語学コースの一環で訪れたことがあります。元処刑場の空気感に背筋が寒くなった思い出があります。

 

 プレッツェンゼー記念館のホームぺージについては、以前にもこのブログで紹介したことがあります。関心のある方はどうぞ。