浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

イスラエル・ガザ戦争とドイツにおける学問の自由・言論の自由について

 ガザ戦争へのドイツ連邦政府によるイスラエルへの関与に抗議した、ベルリン自由大学での抗議活動のキャンプ撤去以降、学問の自由・言論の自由をめぐって、いくつか気になる声明や記事をピックアップしてみました。

 もちろん網羅的ではなく、備忘録的なものです。

 

1 政府、メディア、大学キャンパスでの抗議活動 

 2024年5月9日、ドイツ語圏の新聞『ヴェルト(世界)』のオンライン版に、「『新しいレベルに達した』――史上最多水準の反ユダヤ主義的犯罪行為」というタイトルの論説が掲載されました。

 

 

 この記事では、2023年10月7日のハマスのテロ行為以降、ドイツにおけるユダヤ教徒の日常に反ユダヤ主義がさらに顕著に強く刻まれるようになった、と指摘されています。ドイツ連邦刑事庁の発表によると、2024年1月から3月までの3ヵ月間に、14件の暴力行為を含む、793件の反ユダヤ主義的犯罪行為がリストアップされた、とのことです。

 

 これはドイツ連邦議会の左翼党会派の小質問への連邦政府の回答から明らかになったとのことで、とくにベルリンが中心ですが、ミュンヒェンハンブルクドレスデンほかドイツ全土に広がっていることが確認されました。

 

 動機について、381件の犯罪行為と4件の暴力行為が「右翼の」イデオロギーによるもので、242件の犯罪行為と3件の暴力行為が「外国の」イデオロギーによるものです。そのほか、「左翼的な」政治的動機(12件と1件)、「宗教的」動機(82件と3件)、「その他」(76件と3件)があった、と説明されています。


 2023年末までは、「反ユダヤ主義」以外のイデオロギー的動機は「右翼」に分類されており、その割合も10%にすぎなかったそうです。これらの不法行為として、憲法違反のナチのシンボルの使用、器物損壊や傷害が挙げられています。また、10月7日のハマスのテロ行為を英雄視するものもみられるとのことです。

 

 この記事で、ドイツのユダヤ教団体、「ユダヤ人中央評議会」議長ヨーゼフ・シュスターがこの状況に「失望し」、ユダヤ嫌悪に対する介入を求め、「ある時点からは脅しだけが機能するものであり、それは厳しいものでなければならない」と述べたことが紹介されています。

 

 また、左翼党に所属し、ドイツ連邦議会副議長のペトラ・パウは、ドイツの大学での反イスラエル的抗議に対して怒りを示し、「ベルリン自由大学での教育を停止されなければならなくなったり、ライプツィヒ大学の大講堂が反イスラエルによって占拠されることを、わたしたちは甘受できない」と発言しています。

 

 この同日に、ドイツ公共国際放送の『ドイチェ・ヴェレ(Deutsche Welle)』のオンライン版で、このペトラ・パウの発言に関わる記事が掲載されました。

 

 

 それは、ベルリン自由大学での抗議キャンプの撤去について批判するベルリン各大学教員による声明と署名活動に対して、怒りを表明する政治家とユダヤ系団体、そしてそれを報道するメディアの動きを紹介するものです。

 

 ただし、この記事の最後に、パレスティナ自治政府のドイツ駐在大使が、イスラエル・ガザ戦争についての「自由な意見表明」と「学問の自由」を呼びかけていること、そして同時に、「反ユダヤ主義をふくむあらゆる狂信」を批判していることが指摘されています。

 

2 VDJの立場表明

 このような動きに対して、2024年5月13日、ドイツの民主主義法律家連合(Die Vereinigung Demokratischer Juristinnen und Juristen e. V., VDJ)が、「学者に対するメディアの中傷と大臣による鼓舞が学問の自由を脅かす」というタイトルの立場表明を公表しました。

 

 

 そこでは、政府の政治家たちと大多数のメディアによって学問・意見表明・職業の自由が攻撃されていると危機感が表明されています。


 5月7-8日、ベルリン自由大学の学生による大学キャンパス内での、ガザにおける戦争へのドイツ連邦政府の関与を抗議するキャンプが、大学当局が警察を呼んで撤去させた事件がおきました。この声明では、その撤去の映像をみると、警察の粗暴な措置と同調者による学生への嘲笑が記録されている、と指摘されています。また、ベルリン市長カイ・ヴェーゲナーは、はっきりとその措置を賞賛していると批判しています。

 

 ベルリン・フンボルト大学での抗議活動の阻止やベルリン自由大学でのキャンプ撤去に対して、ベルリン各大学の教員たちは公開書簡を発表し、とくにキャンプの撤去を批判しました。現在、この公開書簡には、1000人以上の教員が賛同しています。

 

 

 ここでは、異なる立場との対話を強調しており、非暴力の抗議に対する警察の即時投入は大学という制度と合致するものではない、と述べられています。

 

 また、この声明が学生の要求の内容についても、またイスラエルパレスティナの情勢についても立場を表明していませんでした。しかし、賛同した研究者について、連邦教育研究大臣ベッティーナ・シュタルク=ヴァッツィンガーは、イスラエル嫌悪と反ユダヤ主義を擁護するものである、と非難しており、その点が問題視されています。

 

 さらに、大メディアのなかでも、とくにシュプリンガー社は、何人かの研究者をさらし者にして、テロと反ユダヤ主義の賛同者と呼んでいるとも指摘されています。

 

 そのうえで、ドイツ連邦共和国基本法第5条の学問・表現の自由は、自由で民主的な社会の本質的な前提条件であり、上記のような動きは基本法と合致しないと主張されています。

 

 さらに、法治国家の定義として、170年前のグリム兄弟のドイツ語辞典の一文、「国家制度の目的はそのあらゆる市民の法的保護である」を引用し、行政当局に対して警察の投入ではなく、個人の法的な諸価値の保護を促進するように訴えています。

 

3 HRKの決議

 さらに、5月14日、VDJの公開書簡に続いて、ドイツ大学学長会議HRK(Hochschulrektorkonferenz)の第38回会合で、「自由な言論空間としての大学を守る」という文書が決議されました。

 

 

 そこでは、「大学は批判的な言論、対話、学術的・社会的論争の場である」ことが確認されています。その場とは、参加が開かれており、もちこまれた主張を根拠づけ、相互に尊重することが、その本質的であると述べられています。そのうえで、事実にもとづいた情報、分析、主張についての相互理解という目的を追求する、あるいは認められた形で意見を表明する限りで、抗議・デモ・挑発行為もまた容認される、と説明されています。

 

 そして、これらの原則が守られず、それによって通常の大学運営が阻害されない、あるいは犯罪行為が存在しない、またははっきりと迫るものではないかぎり、大学は不可侵権を行使し、つねに通告すると表明しています。そして、連邦政府も州政府も、信頼と自治およびそこから生じる法的な裁量の余地を尊重するように訴えています。

 

 最後に、メディアおよびソーシャルメディアも個々の研究者と大学当局を非難にさらしていることに対して、容認できないと締めくくられています。

 

4 VHDの声明

 HRKに続いて、5月17日、ドイツ歴史家連盟VHD(Verband der Historiker und Historikerinnen Deutschlands)も「研究者個人に向けた誹謗中傷に反対し、
自由な言論空間としての大学に賛同する立場表明」という文書を公表しました。

 

 

 まず、ベルリン自由大学での抗議キャンプの撤去後に起きている研究者に対する誹謗中傷と、あらゆるものをいっしょくたにした論難に反対することを決議したことが表明されます。そして、ガザ地区における戦争反対の抗議へと適切な向き合い方についての政治的論争を、歴史学の名誉を傷つけることに利用することに抗議する、と述べられています。

 

 そして、イスラエルの誘拐された人びとや殺害された家族の苦悩とガザ地区の民間人の困窮とおびただしい民間人犠牲者数を考慮すれば、強い感情が生まれることは理解できる、と述べています。しかし、同時に、科学者の責任として、現行の議論における事実にもとづいた、客観的な主張に配慮するという、科学者の責任を想起することが重要である、とも主張されています。

 そのうえで、5月14日のHRKの声明への賛同が表明されています。

 

※以前にこのブログで、Verband der Historiker und Historikerinnen Deutschlands (VHD)のVerbandを、学会連合組織であることが分かりやすいように「連合」と訳していました。しかし、恐れていたことでしたが、今回、Vereinigungとの訳し分けが必要になってしまい、過去の記事も含めて「連盟」と訳し直しました。

 

【2024年6月21日】

 だいぶ読みにくい文章でしたので、一部修正しました。