浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

家族の問題としての普仏戦争――Hypothesesより

 「人文社会科学系の研究ブログのためのプラットフォーム」を掲げるHypothesesというサイトを、ローザ・ルクセンブルク財団の情報から知りました。英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語の各論説がオープンアクセスで閲覧できます。

 

 

 そのサイトに、2020年7月15日に「家族の問題としての戦争――1870年7月19日のプロイセン国王ヴィルヘルムの象徴政策」という論説が掲載されました。8月15日に更新されています。

 

 

 この論説の冒頭では、ドイツ帝国の成立に向けて、1870年7月19日に北ドイツ連邦議会は対フランス戦争を決議した直後、ヴィルヘルム1世は皇太子フリードリヒ・ヴィルヘルムと王弟カールをともなって、シャルロッテンブルクにある生母である故王妃ルイーゼの墓所を訪れたことを紹介しています。

 開戦の日は、同時に王妃ルイーゼが亡くなった60年目の節目の日であり、のちのドイツ皇帝となるヴィルヘルムI世は、この訪問によってプロイセン北ドイツ連邦中にその日であることを想起させたと述べています。

 ルイーゼは対ナポレオン戦争のさなかに亡くなり、1813年に創設された勲章である鉄十字章の別名、「ルイーゼ勲章」として解放戦争の守護者として扱われていました。1870年の対フランス戦争開戦の日にヴィルヘルム1世がルイーゼの墓所を訪れたことは、この戦争の意義を対フランス戦争の伝統と結びつける象徴的行為であり、また学校教育および民衆向けのメディアに宣伝し、「神話」を広める行為であったとのことです。

 また、この訪問によって対ナポレオン戦争とルイーゼの死が1870・71年の戦争と結びつけられ、同時にその甥ナポレオン3世、「新しいボナパルト」に対する戦争として語られ、王室の家族の問題に位置づけられたと指摘されています。

 この論説には、1870/71年の戦争後もこの「神話」を語る新聞記事、そしてこの訪問を描いた絵画が紹介されています。

 守護者としてルイーゼを様式化した「神話」の創造が君主政・戦争・ナショナリズムの3つの要素を結びつけたという問題だと思います。

 ちなみにこの論説の執筆者には「ルイーゼ神話」と題した単著があります。

 

 

 ドイツ語圏では「普仏戦争」ではなく、「独仏戦争」の表記が一般的ですが、この論説を読んで、いっそう意識することができました。