浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

ベルタ・タールハイマーについて――Frauen & Geschichte Baden-Württembergより

 以前にこのブログで、Frauen & Geschichte Baden-Württemberg e.V. (女性と歴史・バーデン=ヴュルテンベルク 社団法人)のウェブサイトを紹介しました。

 

 

 そのウェブサイトに "Denk-Tage"という欄があることを知りました。Denk-Tageは「記念=日」の意味ですが、ハイフンがあることを考えると、「思考=日」、つまり「思いをはせて考える」という意味も重ねていると思います。

 

 

 そこでは、バーデン=ヴュルッテンベルク州にゆかりがあり、「女性と歴史」のサイトに関係する女性が亡くなった日ごとに、その女性の経歴・活動が紹介されています。

 

 4月23日の項目には、ベルタ・タールハイマー(Bertha Thalheimer, 1883-1959)が紹介されています。ローザ・ルクセンブルクとクラーラ・ツェトキンと親交をもち、左派政治家として活躍した人物とのことです。

 

 

 記事では、最初に、ローザ・ルクセンブルクとクラーラ・ツェトキンと親交をもった経緯が語られます。その後、1910年以降、社会民主党員として活動したこと、反戦活動のために1917年に逮捕され、さらに国家反逆罪で2年間の拘禁の判決を受けたこと、しかし十一月革命で釈放され、ドイツ共産党の創設メンバーになったことが説明されています。

 戦間期になると、党のスターリン主義化の傾向に反対したため、彼女は1929年に党を除名されました。そこで、スターリンにあまりに接近することに反対した共産党非主流派を掲げるKPO(Kommunistische Partei-Opposition)に入党しました。

 ユダヤ教徒の商家に生まれたベルタ・タールハイマーは、1933年からシュトゥットガルトに滞在しましたが、1941年に「ユダヤ人ホーム」に移住することを強いられました。そして、1942年にテレージエンシュタット強制収容所に移送されます。

 戦後、彼女はふたたびシュトゥットガルトに戻り、ドイツ共産党に入党しますが、その後、党内非主流派でスターリン主義と距離をとる「労働者政策グループ(Gruppe Arbeiterpolitik)」に所属しました。そして1959年4月23日に亡くなるまで、その機関紙『労働者政策(Arbeiterpolitik)』の責任者として活動を続けたとのことです。

 

 この記事でベルタ・タールハイマーのことをはじめて知りましたが、ドイツ左派女性政治家としてドイツ近現代史を経験した生き証人のような人ですね。