浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

パン・アフリカ主義活動家 Joseph Ekwe Bilé のベルリン記念銘板

 ベルリン州政府は、2022年4月12日のプレスリリースで、パン・アフリカ主義活動家ヨーゼフ(ジョゼフ)・エクウェ・ビレ(Joseph Ekwe Bilé, 1892-1959)がベルリン記念銘板で顕彰すると発表しました。そして、4月21日に記念式典が開催されました。

 

 プレスリリースはこちら。

 

 

 設置された記念銘板はこちら。

 

 

 プレスリリースにある略歴を紹介します。

 ビレは1892年にカメルーンのドゥアラで生まれました。カメルーンは当時、ドイツの植民地支配下にありました。彼は1912年にドイツに留学しましたが、第一次世界大戦の勃発とドゥアラがフランスに占領されたことで、帰郷できなくなり、ドイツの志願兵としてベルギー戦線に参加しました。

 建築技師として留学していましたが、彼は、戦後の1920年代には、俳優や演芸師として生計を成り立たせていました。ウィーンやベルリンで、彼は世界的スターとともに舞台に上がっていました。

 同時に、彼は、1918・19年にドイツで組織された反植民地主義・人種主義的抑圧に対抗するアフリカ系ディアスポラの抵抗運動を組織した中心人物でした。1918年にアフリカ支援協会(Afrikanischer Hilfsverein)の創立メンバーであり、また1919年に同じくベルリン記念銘板で顕彰されているカメルーン出身のマルティン・ディボベ(Martin Dibobe)によってヴァイマル国民議会に宛てられた、ドイツ領アフリカ植民地出身者の「自立と平等」のための請願に署名した一人でした。

 また、彼は1920年代末にドイツの最初の黒人運動をグローバルなレベルのネットワークに結びつけることに決定的な役割を果たしました。すなわち、フランスで設立されたアフリカ系の人びとの権利向上運動組織「黒人防衛同盟(Ligue de Défense de la Race Nègre)」のドイツ支部の設立に参加し、その第一書記になりました。さらに、コミンテルンの支援を受けた反帝国主義同盟(Liga gegen Imperialismus)と密接に連携しました。

 そして、ビレは、1930年末にドイツ共産党に加入し、ベルリン各地で大衆を前に政治演説を行いました。そこでの彼の主張は、カメルーンにおける植民地支配の暴力行為、ドイツや米国におけるアフリカ系の人びとを差別する人種主義に反対するものでした。

 ナチ党の政権掌握前の1932年に、彼はモスクワに留学し、その迫害を逃れることができました。ナチ支配下のドイツに戻ることはできなかったため、ひとまずパリに、さらに1935年にカメルーンへ帰国することができました。そして、1959年に亡くなるまで、同地で事業家および建築家として活動しました。

 

 歴史家ロビー・アイトケン(Robbie Aitken)さんによる関連する論説のリンクを貼っておきます。

 

 

 また、記念銘板の設置について、taz紙の記事もどうぞ。

 

 

 1920年代のベルリンは、最近の歴史学で、反植民地主義ネットワークの拠点としての性格が注目されていますが、関連するドイツ歴史博物館の情報を見つけましたので、リンクを貼っておきます。