2024年2月21日、デジタルドイツ女性アーカイブのホームページの女性活動家紹介欄に、アメリカ合州国の作家・詩人であり、フェミニスト・人権活動家として著名なオードリー・ロードが掲載されました。
この欄に、ドイツ語圏以外の女性活動家が紹介されることはほとんどありません。ドイツ語圏ではどのあたりに力点を置いて紹介するのかに関心をもちました。以下に、要約しておきます。
まず冒頭で、数十年来、オードリー・ロードの論説、詩、演説は、世界中の作家および黒人フェミニストだけではなく、人種主義、性差別、同性愛嫌悪、貧困、年齢差別などあらゆる排除に反対する多様な人びとに示唆を与えてきた、と説明されています。そして、彼女の抑圧と差別のない世界像は、利潤志向で植民地主義とアフリカの人びとの奴隷化を基盤にもち、人間と自然を軽視する社会構造との文学的な対決であったと評価します。
そのうえで、彼女の幼少期を振り返ります。ロードは1934年にニューヨークのハーレム地区で生まれました。父はバルバドス出身、母はグレナダ出身で、家族は日々、人種差別を体験していたと指摘されています。
幼少期に半ば目が見えなくなり、話し始めるのも遅かったですが、4歳には本を読み始め、早くに詩に目覚めました。その頃の彼女の体験は、散文・詩で書かれた「神話的」自伝(Mithobiografie) Zami (1982年)に描かれています。
また、若年期にレズビアンであることを自覚し、マッカーシー体制に反対する政治運動に関わり、さらにメキシコへ留学しました。メキシコの自然を眺めながら、詩人としての自己規定の過程が始まったといいます。そして、反差別闘争とならんで、母の故郷の島とアフリカ的遺産との結びつきを認識したとのことです。
その後、60年代以降の米国での彼女の歩み――司書としての活動、結婚、離婚、大学講師、女性・レズビアン・公民権運動への参画、アパルヘイト体制下の南アフリカで女性支援活動、創作活動――が説明されています。
1978年に乳がんと診断された彼女は、その経験についても執筆活動を始めました。米国、カナダ、ロシア、デンマーク、オーストラリア、ニュージーランド、そしてキューバで講演活動を行うなか、1984年に大学講師・出版者ダーグマー・シュルツに招かれ、ドイツを訪れました。
そこからスイス、オランダ、イギリスへと旅行し、それらの黒人女性組織に大きな影響を与えたといいます。ベルリンでは、ベルリン自由大学ジョン・F・ケネディ研究院で、アメリカ文学と創作について教え、アフリカ系ドイツ人女性と会い、その最初期の黒人運動に重要な刺激になったとのことです。ダクマー・シュルツへのインタビュー動画へのリンクも貼られています。
そして、オードリー・ロードが、アフロ・ドイツ人女性運動にとって記念碑となる論集 Farbe bekennen やイーカ・ヒューゲル=マーシャルの自伝、そして3週間にわたる黒人女性研究についての国際サマーセミナーの開催を提起したことが紹介されます。その後、彼女はベルリンを繰り返し訪れ、その著作のドイツ語版が女性の作家・運動の出版活動を行うオーランダ・フラウエンフェアラーク社から刊行されていきます。さらに、ダクマー・シュルツは、Audre Lorde - The Berlin Years 1984 to 1992 と題した映画を制作しました。
最後に、「ドイツにおけるオードリー・ロードの遺産」と題した節が設けられています。そこでは、ISD(Initiative Schwarze Menschen in Deutschland、ドイツ在住黒人イニシアチブ)や ADEFRA(Afrodeutsche Frauen、アフロドイツ人女性)の礎をつくったと評価されています。
また、ロードは東西ドイツの統一が「ドイツ・アイデンティティの問いに批判的な問いが投げかけられている」と認識していました。東ベルリンとドレスデンでの彼女の講演に際して、「黒人」と「白人」の交流がグローバルなフェミニズムの言説を大いに豊かにするものとして感じていた、と指摘されています。その一方で、彼女は、マイノリティへの認識不足とドイツ再統一の過程で絶えずあらわになる人種主義と反ユダヤ主義をますます強く批判するようになったといい、それを表現した詩のタイトルが紹介されています。
2011年以降、ベルリン自由大学には、オードリー・ロード・アルヒーフが設置されているとのことです。また、2021年春にはベルリンのフリードリヒスハイン=クロイツベルク地区のある通りに彼女の名前が付けられることが決議されました。さらに、ベルリン大学連合(BUA、Berlin University Alliance)の「多様性・ジェンダー平等ネットワーク」は「インターセクショナリティ・ダイバーシティ研究のためのオードリー・ロード客員教授職」を設立しました。そして、2020年に世界的に広まったブラック・ライヴズ・マター運動の後、ドイツ語圏の主流の文壇でもオードリー・ロードは再発見され、2021年にSister Outsider の新訳が出版されたことが紹介されています。