浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

ヴァルター・ベンヤミンの弟、ゲオルク・ベンヤミンについて

 2020年9月5日、『ノイエス・ドイチュラント(Neues Deutschland)』紙のウェブサイトにヴァルター・ベンジャミンの弟、ゲオルク・ベンヤミンを紹介する記事が掲載されました。

 

 

 医師であると同時に、社会主義者でもあったゲオルク・ベンヤミンは、ナチによって逮捕され、1936年以降の長い刑務所での収監の後、1942年8月26日、マウトハウゼン強制収容所で生涯を閉じました。1933年3月5日の選挙後、ナチ政権下でも彼はベルリンのヴェディングで開業していた診療所の窓に大きく赤旗を掲げ、その後、ナチによって度々、逮捕されました。1936年に「反逆罪」のかどで長期の収監生活を送ることになります。しかし、それでも自らの信条を貫いたといいます。

 第一次世界大戦の開戦時には、戦争に熱狂したものの、その後、断固とした反戦の立場に変わると、革命的労働者運動に徐々に接近するようになりました。1922年にドイツ共産党に加入しています。

 ヴェディングの地区議員集会での地域政治家として、1920年代末頃、ゲオルク・ベンヤミンはドイツ共産党への忠誠心からスターリン主義的な立場を採っていました。しかし、刑務所から送られた妻のヒルデ――のちにドイツ民主共和国の司法大臣として女性の権利と家族法を進歩的なものにした「赤いヒルデ」――宛の手紙には、スターリン主義について「幻想を抱いていない」と綴っていたとのことです。

 また、労働者層の政治的同胞との知的交流と並んで、医師としての仕事で、彼はとても人気があったと述べられています。労働者層の女性に求められた際の妊娠中絶を引き受けたり、あるいは金銭的に困難を抱えた党員を支援していました。タバコと酒を控えていたことから、「聖ゲオルク」と呼ばれていたそうです。その一方で、自然散策、旅行、バイク、チェスといった多趣味の側面もありました。

 最後の節では、戦後ならびに体制転換後のゲオルク・ベンヤミンの評価について、興味深い考察が続いています。

 戦間期におけるベルリンの労働者政治文化、その当時のユダヤ系左派知識人のあり方、さらにはDDRの政治的記憶文化と体制転換というテーマを考察するうえで、示唆を与えてくれる人物でしょう。