浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

1938年の11月ポグロムの記憶――ローザ・ルクセンブルク財団ウェブサイトより

 2020年11月9日、ローザ・ルクセンブルク財団ウェブサイトに、ナチ迫害を逃れた祖父をもつミヒャエル・ブリー氏による回顧録が掲載されました。

 

 

 オンライン版のみの掲載です。ブリー氏はローザ・ルクセンブルク財団で社会主義体制移行研究と社会主義の歴史を担当しています。

 最初に、1954年生まれのミヒャエル・ブリー氏にとっても、1938年11月9日から10日に起きた「ポグロムの夜」以降の家族の歴史を語ることは難しいと述べています。繰り返し、絶滅収容所に移送され、ガス室で殺害される人々を見る悪夢にうなされるといいます。

 1934年、ベルリン・カールスホルストの名も知らない警官が、彼の祖父、アルトゥーア・ブリー氏に逮捕の一時間前にその計画を警告しました。祖父の共産主義運動の地下活動に関わっていたため、ヒトラーの政権獲得後、アルトゥーアとその家族はすぐに国外逃亡の準備を強いられました。祖父とその家族の国外逃亡には、ドイツ=ボヘミア共産主義者ユダヤ系の友人、ポーランドの組織、イギリス政府が支援し、1939年夏、第二次世界大戦開戦前にダンツィヒに係留していた最後の船でようやく出発できたとのことです。

 この回顧録は、11月ポグロムの日に合わせて、現在への警句として執筆されました。上記で紹介したような家族の逃亡の記憶のほか、アウシュヴィッツと戦後についての省察が綴られています。