2021年8月21日、左派のドイツ語新聞、taz紙に、ナチ・ドイツ支配下の東部占領地域でブレーメンとハンブルクの商人たちがとくに利益を上げていたこと、そして多くの企業史料館では今日もなお史料公開が進んでいないことを指摘する記事が掲載されました。
これは "Hanseaten im Osten. Bremer und Hamburger Firmen im Generalgouvernement 1939-1945(東部でのハンザ商人――総督府でのブレーメンとハンブルク商社、1939-1945年)"というタイトルの博士論文を執筆したフェリックス・マタイス(Felix Matheis)さんへのインタビュー記事の形式をとっています。
この記事によれば、ポーランド占領地域(今日のポーランド東部とウクライナ西部を含む)で、ハンザ諸都市の商社、とくにハンブルクから21社、ブレーメンから11社が独占的な地位を確保し、さらにハンブルクからほかに20社が活動していたと指摘されています。その多くは、1939年までアフリカ、東アジア、ラテンアメリカで活動していました。
第一次世界大戦後、ドイツは植民地領土をすべて失いましたが、ほかの列強の植民地で活動していた植民地経験と、東部占領地域を「植民地的」と見なしていた総督府の支配との接点が示唆されています。
この背景として、ヒトラーは対外貿易よりも軍拡を優先しており、世界恐慌以後、対外貿易に従事してきたハンブルク商社は新たな道を見つけなければならなかったといいます。そして、それらの商社は状況の改善のために、ナチ指導層と密接に結びつき、「アーリア化」によるユダヤ系の事業者からの体系的な資産没収によって利益を得るチャンスを得たことが主張されています。
この博士論文が早く出版されるといいですね。