浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

フンボルト・フォーラムへの反植民地主義的批判――taz紙より

 2021年9月20日、タッツ(taz)紙に「フンボルト・フォーラム――そしてそれ〔プロイセン文化財団〕はさらに漕いでさかのぼる」という記事が掲載されました。

 

 

 この記事のリード文では、新たに開館したベルリンの博物館であり、複合文化施設であるフンボルト・フォーラムが、そのヨーロッパ地域外からの収集物への長年の批判に揺れている、と説明されています。

 

 現在まで続く未解決の植民地主義の問題として、植民地支配期にヨーロッパ列強がその支配地域で収集した、いわくつきの文化財の返還が議論されています。フンボルト・フォーラムもその議論からまぬがれえない、ということですね。

 

 以下、記事の内容を紹介します。

 冒頭では、とくに15~16メートルにおよぶ美しく装飾された豪華な船が紹介されています。それは今日のパプアニューギニアで製作されたもので、1904年にベルリンに持ち込まれたものです。フンボルト・フォーラムの担当者は、今年6月の記者会見で、この豪華ボートおよびドイツ植民地主義の歴史をめぐる問題について回答できなかったそうです。

 ところが、このボートについて、ジャーナリスト兼歴史家ゲッツ・アリーの近著、Das Prachtboot (豪華なボート、豪華船)が出版されました。そこでは、ドイツ植民地であったドイツ領ニューギニアで、ドイツ植民地支配者によって、住民が殺害、強かんの被害に遭い、プランテーションへの強制労働に送られたこと、そしてこの豪華船は、ドイツ軍にルフ島へのいわゆる「懲罰遠征」を依頼したドイツの会社が後に獲得したこが記述されていました。

 

 現在のこの船の所有者は、プロイセン文化財団であり、アリーの本が出版されるまで、この船は「合法的な購入」であったと主張していました。しかし、この記事では、財団はもはや「漕いでさかのぼら(zurückrudern)」なければならなくなった、と述べられています。

 さらに、ここでは、財団がこの船の歴史を「さらにさかのぼって漕いでいる」といい、その後の調査を結果を紹介しています。

 フンボルト・フォーラムより、映像制作者マルティン・マーデンさんは、ルフ島とその船の歴史的な痕跡を探すオーラル・ヒストリー的な調査を依頼されました。マーデンさんはその船を製作した島民の子孫をすぐに見つけることができたそうです。しかし、その島はすでに無人島になっていました。この調査でインタビューを受けた島民の一人は、関係者とベルリンを訪問し、その船の写真を撮り、新たな船を作ることを希望しているとのことです。

 フンボルト・フォーラムは、ほかにも数多くのヨーロッパ地域外の収集物がありますが、この記事では、その歴史の知識を取り戻さなければならない、と主張されています。

 また、記事の最後のほうで、同館でこの植民地主義との関わりを想起させる、現代アートの展示が紹介されています。

 フンボルト・フォーラムを早く参観しなければなりませんね。

 

【2021年10月11日追記】

 フンボルト・フォーラムの民族学部門の開館を記念した、ナイジェリアの著名な作家チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの講演が YouTube にアップされています。

 

 

 彼女の作品は日本語でも多く出版されていますね。

 同じく、フンボルト・フォーラムの所蔵品で返還要求が掲げられている Ngonnso 像について、彼女が同じく返還要求を支持する記事が taz 紙に掲載されています。