浅田進史研究室/歴史学

研究・教育・学会活動ノート

ドイツにおける植民地記念碑をめぐる論争――ハンブルクのビスマルク像ほか

 2020年はブラック・ライヴズ・マター運動の追い風を受けて、植民地支配の過去を顕彰するような記念碑をめぐって世界各地で大きな議論が起きた年として記録されることでしょう。

 

 2020年6月、イギリスのブリストルではエドワード・コルストン像が引き倒され*1 、ベルギーのアントワープでは元ベルギー国王レーオポルト2世像が撤去されました*2

 続く7月には南アフリカケープタウンセシル・ローズ像の頭部が切り落とされました*3。同月17日、オックスフォード大学は同大オリエル校のセシル・ローズ像を撤去する意向を示し、2021年1月までに結論づけると発表しています*4

 

 これは公共空間における植民地的過去を表象する遺物・痕跡をめぐる闘争であり、現代社会における脱植民地化の一つといえるでしょう。それが同時並行的に世界各地で生じたことは、これが一過性の出来事ではなく、それぞれに以前からの要求の積み重ねがあったからです。

 こうした視点については、2020年6月にローザ・ルクセンブルク財団のウェブサイトに掲載された、アンドレアス・ボーネ「植民地記念碑の崩壊」の短い論説が参考になります。

 

 

 この論説では、植民地記念碑の撤去運動が1968年学生運動の歴史と結びつけられ、またヨーロッパだけではなく、アフリカでの動きも視野に入れて議論されています。そのほか「ドイツのための選択肢」のような右翼勢力の動向や、撤去後の展示のあり方、植民地主義的な過去の遺物との批判的な論争の必要性についても語られています。

 

 このブログでも、カント像をめぐる撤去論争*5ドイツ国内の植民地主義関連記念碑のウェブ地図化プロジェクト "Tear This Down. Kolonialismus jetzt bezeitigen" *6、「ベルリン・ポストコロニアル」の取り組み*7を紹介してきました。

 

 この議論の流れからハンブルクにあるドイツ最大のオットー・フォン・ビスマルク像も逃れられません。高さは34メートルもあります。

 2020年7月15日、『デア・ノルトシュレースヴィガー』紙のウェブサイトに以下のような記事が掲載されました。

 

 

 批判者はビスマルクを反民主主義者、戦争仕掛け人、植民地主義の道先案内人と呼び、記念碑の顕彰は時代錯誤だと指摘しているとのことです。急進的な主張では、首を落とせ、というものもあるそうです。

 このハンブルクビスマルク像は1906年に設置されました。

 2020年7月初め、”Otto must fall" を掲げてこの像の撤去を要求するデモが起きました。現在、ハンブルク社会民主党緑の党からなる連立政権のもとにあり、その政権は記念碑の改修を進めています。政権の担当者は、ビスマルクの歴史的役割をはっきりさせる芸術コンテストを望んでおり、英雄的な巨人化を皮肉に打ち破るような反対の立場もありうると説明しているとのことでした。

 この議論については、 「北ドイツ放送(Norddeutscher Rundfunk)」 のウェブサイトでいち早く紹介されています。

 

 

 このビスマルク像についての学術論文はこちら。

 

  • Russell, Mark A., "The Building of Hamburg's Bismarck Memorial, 1898-1906," Historical Journal, 43: 1 (2000), 133-156.

 

【追記その1】(2021年1月5日)

 2020年9月4日、ドイツ植民地戦争、とくにヘレロ・ナマに対する絶滅戦争についての研究で著名なユルゲン・ツィンメラー氏が、記念碑批判を「撤去テロリスト」などと攻撃する論調に対する再批判の論説をツァイト・オンラインに寄稿しました。

 

 

【追記その2】(2021年4月10日)

 1960年代の学生運動が高揚するなか、ハンブルク大学に設置されていた元ドイツ領東アフリカ総督ヘルマン・フォン・ヴィスマン像の引き倒しが起きました。この像の歴史的経緯がドイツ歴史博物館のウェブサイトで説明されています。